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医学部受験生の生活日記

医学部受験生の受験生活日記


高校球児そうちゃんが、一浪で合格するまでの「医学部受験生活日記」

〈最終回〉

センター試験突入!千里の道は嘔吐から

一月十七日
いよいよセンター本番である。緊張のせいか自宅で消化過程が巻き戻されてしまった。しかし胃の中がカラッポになりおかげですっきりした。受験票、筆記用具、腕時計を確認し、神棚に向かってお祈りする。僕がお祈りするのは決まって受験のときと野球の公式戦のときである。「苦しいときの神頼み」とはよくいったものだ。自信と不安の混合物を胸に会場の日本大学経済学部へと向かう。おまじないは「模試と同じように……」
社会(日本史B)
まずい、手汗で滑って試験問題を包んでいるビニール袋が破れない……。仕方がないのでシャーペンを突き刺して破いたら問題に穴が開いてしまった。とほほ。それ以外は順調でゆっくり解いても二十分近く余った。
 昼食
トマトベースの野菜スープでご飯をかきこみ、二十五分ほど昼寝をする。眠れなくても机にうつ伏せになるだけで眠気防止の効果がある。次は天下分け目の国語なり。
 国語
「皇国の興廃この一戦にあり。」古文→漢文→評論→小説の順に解く。かなりイレギュラーかもしれない。古文・漢文は去年とは比較にならないくらい簡単だ。評論は読みやすいが最後の問題の選択肢が多くかつ長くやっかいである。小説は例年通りの難易度に感じられた。時間はほとんど余らなかったが、感触はかなり良い。
 英語(筆記)
先述したように一番安定して高得点が出る科目が英語である。十五分ほど見直しができた。ただし集中が途切れないようこのあたりでの糖分補給は必須だ。
 英語(リスニング)
休み時間中は過去問の音声を聞き流す。この聞き流しは耳慣れにも精神安定剤にもなる。
 一日目終了
全体的にかなり好感触だったが、セオリー通り答え合わせはせずに早めに寝る。
答え合わせをして、ケアレスミスが見つかると、次の日の出来に影響がでるからだ。

一月十八日

センター二日目
一日目のここちよい疲れのおかげでぐっすり眠ることができた。二日目も慎重にやらねば……。

数学ⅠA(新課程)
全体的にやや易だったが、整数問題の⑶で十五分ほど考え込んでしまった。まさかkの答えが九だなんて……。空欄の数から1の答えが三桁であることに気づいていれば、馬鹿正直に一から順番に調べる必要もなかったのだ。この問題は数学の穴埋め問題では空欄の形から答えを絞ったり、場合によっては特定できることもあるという思考法の大切さを如実に示していると思う。

2015年度センター試験数学ⅠA第五問

⑶次に、自然数kにより126kと表される数で、11で割った余りが1となる最小のkを求める1次方程式
       126k-11ℓ=1
を解くと、k>0となる整数解(k、ℓ)のうちkが最小のものは
        K=□、ℓ=□□□
である。

(解答1)
  k=1,2,…と代入していくと、k=9,ℓ=103とわかる。(9通り調べるのはしんどい)
(解答2)
  空欄よりℓは3桁であることが分かる。よってℓ≧100であり、与式を考えあわせるとkは126k≧1101を満たす1桁の自然数である。よってk=9であり、これを与式に代入することでℓ=103も求まる。
  
  昼食
一日目と同様、野菜スープ→昼寝の必勝行動パターン。
数学ⅡB(新課程)
全部解ききれなかった。たった1点分しかない第三問(数列)の最後の空欄に時間をかけすぎ、第四問(ベクトル)を半分近く食べ残してしまった。タイムマネジメントの重要性を本番にて痛感する。動揺して後の科目に響かないように、外の空気を吸って軽く体操するなどして気持ちの切り替えを図る。自分はメンタルが強いと思い込んでいる人ほど本番で崩れやすい、と僕は思う。注意が必要だ。
 理科(物理)
これも既に書いたが国公立医学部の二次対策ができていれば十分対応できる。旧課程より範囲が広くなったせいか典型的問題が多くやりやすいと感じた。
  理科(化学)
物理と同様解きやすかった。ただ鉄クギの問題はよく分からなかった。ここまでくると脳みそが豆腐の様になってくる。普段からセンター模試などを利用して脳のスタミナを鍛えたり、集中力を回復する方法を研究しておくことが必要だ。
センター試験終了
理科(化学)の項でも触れたが、受験において持続性のある集中力は合否を分ける重要なファクターであることは間違いない。何をどれくらい勉強したかはもちろんだが、日々の勉強の中でどれだけタフな集中力を身につけられるかも重要なのだということを痛感した。というのも実体験の他に、周りの環境に影響されて実力を発揮できなかったり、試験の終盤に集中が途切れたという話を友人から結構聞いたからだ。
とにもかくにも、センターの後には自己採点という恐怖のイベントが待っている。大手予備校の解答速報を見ながらおそるおそる採点する。自己採点は次のような結果になった。あー寿命が縮む。
 日本史八五点、国語一七八点、英語一九八点、リスニング五〇点、数①一〇〇点、数②八六点、物理一〇〇点、化学九五点、合計八四二点(九〇〇点満点)
なんと「絶対取れるわけない」と思っていた〝なんちゃって目標〟の九三%を超えてしまった。とりあえず安堵の溜息を一つ。明日からは頭を切り替えて大急ぎで順天堂医学部対策をしなければならないが、今日のところは早めに寝るとしよう。

怒涛の私大ラッシュ①
  一月二二日(順天堂大学一般入学試験)
センターで成功したおかげか、非常にリラックスした状態で試験に臨むことができた。会場が渋幕にごく近い幕張メッセだったことも気持ち的に有利に働いたかもしれない。しかし会場はとにかく広いので初めての人は雰囲気に呑みこまれないよう注意が必要かも。
英語
例年長文読解と英作文という形式であり、とにかく時間が足りない。おそらく上位の私大医学部の中では最も時間が足りないやっかいな大学だ。長文問題は易しめだが量が多く、さらに英作文がスペース的に考えて二〇〇ワードくらいかかねばならず、殺人的に時間が足りない。過去問演習で絶望したそこのあなたは、インタビュー形式の長文を設問に関係がありそうな部分だけを飛ばし読みしたり、英作文を早く文法ミスをせずに書く訓練をしなければならないと思う。英語の配点が高く、しかも差がつきやすい出題なので、順天は英語で決まるといっても過言ではないだろう。と偉そうなことをつらつらと書いている割に、あまり感触は良くなかった。そもそも全部終わらなかった。
数学
ここの数学は少し特殊で、中学受験的発想や図形的感覚を問われることが多い。あとなぜか斜めの楕円に関する出題が多い。今年は星芒形、いわゆるアステロイドが出題されたのだが、夏の講習でやったことだけは覚えていたが、内容をすっかり忘れてしまっていた。こういうときほど悔しいことはない。
理科
典型的出題が多いが、英語と同様量が多い。物理がいまいちだった。
帰り際、高校の友人二人と出会い、夕食を共にする。久しぶりに再会した二人と下らない話をしながらのつけ麺は、この上なく旨かった。気心知れた仲間との接触による摩擦熱は一見ただのエネルギーロスのようだが、この暖かさが僕は好きだ。特にこの時期は寒いから。
 小論文
提示された写真について八〇〇字以内で感想を書かせるという独特な形式。被写体に込められた象徴的意味をくみ取れれば書くことには困らないが、何にも思い浮かばなければ何が写っているかの客観的説明をまずして、その後医系ネタにこじつけて、文字を埋めるのがいいかもしれない。海岸が写っていれば、私はこの岸辺寄る波のように患者にそっと寄り添える医師になりたい、という風に。
怒涛の私大ラッシュ②
一月三〇日(昭和大学)
五反田TOCでの受験。ここで愛用の座布団の使用を禁止されるというアクシデントが発生した。ちなみに僕が受験した中で座布団を使用できなかったのは昭和だけだった。ぶつぶつ。そしてなぜか試験監督が威圧的だった。びくびく。
英語&数学
英語と数学両方を一四〇分で解くという独特の形式で、英語を早く終わらせて数学に時間を割けるかどうかが勝負のカギとなる。昭和は毎年英語の問題形式を変えてくることが想定されるが、今年は量が少なく三五分で終わらせることができた(例年は五五分ほどかかる)。英語も数学も標準的な出題が多い。
理科
標準的な出題が多いが、今年に限って言えば化学は計算量が多く、物理は記述問題が二題ほど出た。その問題が少々変わっている。
昭和大学物理大問三
1 電力会社は、発生させた電気エネルギーを効率よく送るために、送電線に高電圧をかけて熱の発生を少なくし電気エネルギーのロスを軽減している。なぜ高電圧をかけると熱の発生が小さくなるのか
⑺ガラスは透明である。しかし、細かく砕かれたガラスは白く見える。なぜか。七〇文字以内で答えなさい。
前者は教科書のコラムか何かでみたことがある気がする。このような問題への対処方法は、あくまで物理の問題なのでとにかく関連のありそうな物理用語を盛り込むことだと思う。⑴ならオームの法則、⑺なら乱反射などだ。たぶん。
解答速報無視ノススメ
昭和大入試の帰り道。全体的に出来が良かった気がしたので僕はほくほくしていた。ほくほくついでに予備校が配布する解答速報を受け取ってしまった。見てしまった。そして知ってしまった。数学でmとnを取り違えて、群数列の大問をほぼすべて落としたことに……。見なきゃよかった。
帰りに有名なうどん屋「おにやんま」にてとり天うどんを食す。関西風の出し汁にとり天の脂が溶け込んだつゆがうどんによく絡み、とても旨い。最後におろしショウガをたっぷりのせると、また違った美味しさを楽しめ、飽きることがない。まだいろいろ書きたいが、このままだとグルメリポートになってしまうので割愛する。
怒涛の私大ラッシュ③
二月五日(東京慈恵会医科大学)
どうでもいいようで大事な話なのだが、この大学の名前は東京慈恵医科大学ではなく東京慈恵会医科大学である。名前を間違えぬようくれぐれもお気をつけて。調査書の大学名を間違えたりしたら洒落にならない。あー耳が痛い。会場はまたTOC。もちろん座布団は使用可だった。
数学
うーむ全然分からん。今回初めて「分からな過ぎて時間が余る」という不思議な状態を経験した。大問一、二は解けるのだが、大問三は⑴の領域を求める問題からしてありえない答えが出てきてしまい、大問四は問題の設定がいまいちよく分からずはじめの空所補充しかできなかった。刺激を与えられた過冷却水のように思考が凍結していくのが分かった。こういう場合は問題をゆっくり読み直した後で、分からない部分を頭の片隅に置きつつ簡単な作業や思考、見直しなどを継続して頭のエンジンを温め、ひらめきを待つにかぎる。決して焦ってはいけない。落ち着いてさえいれば頭の中の「こびとさん」が何とかしてくれるかもしれない。実際僕もこの方法でひらめいた。試験終了後に……。とほほ。
ちなみにこの「こびとさん」というのは内田樹氏の表現であり、自らの与り知らぬところで働いている自分自身の知性のことをいう、と僕は解釈している。誰しもどこからともなく答えやアイデアがぱっと浮かぶという経験をしたことがあるはずだ。受験では本番でどれだけ「こびとさん」が働きやすい状態を脳内に作り出すことができるかが大事だと思う。考えてみると受験勉強において良い、またはすべきとされている、早寝早起き、しっかりした食事、適度な休息などはこの「こびとさん」が働きやすい環境を作るために行うべきことのような気がする。そして試験が終わった直後にアッと気づくことが多いのも、試験からのプレッシャーから解放されることで「こびとさん」にとって理想的な環境が脳内に形成されるからだろう。とほほ。
英語
文法問題、長文一題、そして和文英訳一題という古風な問題形式で、近年流行りの長文読解問題を大量に出題する形式とは一味違う。前半のよくわからないイディオム問題はともかくできなくても気にすることはない。give him the green lightなんて知るか!。、全体的に英文の構造把握が重視されていて、一年間えすぶいおーしー、えすぶい、ぶいにかかるふくし……と一文一文の理解に努めていた僕にとっては取り組みやすい出題ではある。これは近年のパラグラフリーディングや速読の流行に対するアンチテーゼなのかもしれないしそうじゃないのかもしれない。そして問題は和文英訳なのだが、例年主語を補わなければならなかったり、そもそも日本語が難しかったりと、やりにくい英訳が多い。例えば過去には「おもねる」を英訳する出題があった。総合的な知力が問われるいかにも難関校の入試という感じだ……と恰好つけて書いてはみたが、もちろん本番中にそんなことを考えている余裕はなかった。
理科
 標準からやや難問がバランスよく並べられているが、物理は生物系の話題と絡めて出題されることがあるので注意が必要だ。去年は血液循環を電気回路に置き換えて考える問題、今年はカメムシの甲殻が何色に観察されるかを光学的に考える問題が出題された。とはいっても標準的な問題の解法を習得していれば十分に対応可能である。標準問題の解法を完璧に身につける、これはほとんど全ての医学部の全教科についていえることだとも思う。
  難関校の洗礼
 順天、昭和など標準的な問題を早く正確に解くことを要求してくる大学の入試問題とは違い、慈恵、日医、慶應などの大学では大多数の人が試験中に手が止まることがあると思う。よく「標準問題はあまりこわくないのだが少しひねられている問題には太刀打ちできない……一体何をすればそういう問題ができるようになるのか見当もつかない」という人がいる。僕もその一人なので何とも言えないがそういう人は標準問題と難問では問題を見たときに要求される心遣いがやや変わってくることに気づく必要があると思う。                                                                   まず標準問題というのは大多数の人が受験勉強において二、三度解いたことのある問題なので、自分が構築してきた解法体系の中から該当する作業マニュアルを取り出し、その指示を忠実に実行すれば正答を得ることができる。だから標準問題を大量に解かせる大学では、頭の中のマニュアル自体がしっかりしているか、正しい方針が即座に導けるかということと又、作業を確実かつ迅速にこなせるかということが試されているのである。
一方、難問は大きく分けて三種類あるのではないかと勝手に想像している。
1 問題文から状況が読み取りにくい、または設定が複雑な問題
2 解法がマニュアル化しづらい、または正答を得るまでに定型的な解法をいくつも必要とする問題
3 作業が煩雑だったり、工夫が必要な問題
例えば、①は物理の力学によく見られるし、②の前者は場合の数・確率や整数問題が代表格だ。少なくとも微積よりはマニュアル化しづらいはずである。微積の難問の多くは③にあてはまるかもしれない。そして多くの人が①と②のタイプの問題に頭を抱えるのではないだろうか。これらの問題に対する対処法はどうすればよいのか。
僕はマニュアル(こう来たらこう打ち返す)をできるだけ簡素化することで融通が利くようにしていた。例えば物理にある著名な講師の著作には高校物理における解法体系は二五個しかないと書かれている。よく丸暗記ではなく理解を優先しろというが、たぶん同じことを言っているのだと思う。試験中に手が止まったら、一旦心を落ち着かせてから基本に立ち返るよう意識せねばならない。そういえば東京大学新聞(二〇一三年九月一〇日)受験生特集号の数学の欄において、同大学数理科学研究科の寺杣友秀教授は次の様におっしゃっていた。
「解けない問題に遭遇した時が、自分に欠けている点を振り返る最大のチャンスです。何かのやり方にとらわれていたり、基本事項が抜け落ちていたり、基本パターンに含まれる、発想の部分の根本的な理解が足りなかったところなどが明らかになるでしょう。自分の陥りやすいくせが見つかるかもしれません。できない問題に遭遇したとき、それを新しいパターンとして類型化してしまうのでは再検討のチャンスを逃してしまい、まことにもったいない限りです」
 順天堂大学面接(一般入試)
順天堂大学医学部の面接は面接官四人による個人面接で、自己アピールできる賞状などを持ち込み参加するのが慣例である。僕は野球部時代に読売新聞に掲載されたことがあったのでその切り抜きと、僕のことをべた褒めしてくれている友人の卒業文集のコピーを持っていった。うーはずかちー。ちなみに面接官にごらん頂くものは四、五枚分持っていくと、試験官の方々が回し読みせずにすむのでポイントが高い。持参した資料は試験管があらかじめ目を通した状態で面接が始まる。感触は……ゲホゲホという感覚でカツオノエボシの浮き袋のようだった。まず「小中高の成績を示すものと書いてあるのにあなたはなぜ小学校の通信簿を持ってこなかったのですか」と突っ込まれどん詰まりのサードゴロ。更に「最後に何か言い残したことはありますか」と聞かれ「特にありません」とあっさり答えて空振り三振。言ってしまったあとでしまったと思ったが〝後悔先になんとやら〟だった。「今までにも申し上げましたように私は……という理由で是非とも貴校に入学したいと考えておりますので、貴校への入学許可につきまして前向きにご検討いただけますと幸いです。」くらい言えると良かったのだが……。〝初めての面接は初めてのチューより緊張する〟。果たしてこの命題は真か偽か。
  昭和大学二次試験(小論文+面接)
  小論文
 前々日に医学概論を指導している先生から教わったこと「安楽死と尊厳死について」がそのまま的中し、出題された。受験にはこのようなことが往々にしてある。そのような幸運はそれをあてにしない人に訪れるのだと思う。実力不足を運でカバーしようと考える人は幸運を幸運と認識できないのである。
  面接
 学校の教室くらいの大きさの部屋をいくつかに仕切ったスペースできっかり一〇分間面接を行う。隣の声が気になるのではと思ったが杞憂だった。気になる余裕がなかった。野球部での活動とチーム医療の関連性、地域医療に関する質問が主であったが、一つとんでもない質問をされた。臨場感が出るように実況中継風で書いてみる。
 「最近地方の医師不足が深刻化していますが、あなたはどうすればこの状況を改善できると考えますか。」
 おっといきなり医系ネタだ。あー鉄板ネタだけどリサーチ不足だな。
 「えっと、やはり地方の医師が不足するのは、地方に赴任すると最新の医療技術を学んだり、大病院で様々な症例に出会うという機会が失われてしまうことに問題があるのだと思います。そして、そのように若い世代の医師が考えているからではないでしょうか。」
 じっとりと汗ばんだ手のひらをズボンで拭く。
 「ですので、地方に赴任した医師も最新の医療技術や情報に触れられるようにそれらに関する研修などを充実させる必要があると考えます。」
 試験官は時々相槌を打ちながら真剣に聞いてくれている。もしかするとただのポーズかもしれないがそれはそれで嬉しいものである。
 「また、北欧には国家が医師の赴任先を指定する制度があると聞いています。実際に導入するとなると多くの問題が発生するとは思いますが、そのような制度の導入も選択肢の一つとして考えられるかもしれません。」
 おーし、医療系の知識もありますよアピールができたぞ。ちょっと余裕がでてきて周りが見えるようになってきた。
 「なるほど分かりました。(調査書らしきものを見ながら)君は野球でピッチャーをやっていたのですね。エースだったのですか?」
 「はい、最後の夏の大会はエースを務めさせていただきました。」
 「そうですか。ところで、キャプテンにはチームをまとめられる人がつくと思うのですが、エースというのはワンマンな人が多いというイメージがあります。医師はチーム医療においてリーダー的役割を果たさねばならず、それは野球部でいえばエースよりはキャプテンの役目のほうが似ていると思うのです。さて、その点についてあなたはどう考えますか?」
 そ、そう来ましたか。けっこう突っ込んで聞いてくる系なのね。
 「う~ん、剛速球投手ならまだしも、私は打たせてとるタイプでした。というより三振を取れるタイプではありませんでした。そのような次第ですのでバックの力がなければ試合を作れずワンマンになろうにもなれませんでした。それにエースというのはチームの仲間に自分のプレーを以て信頼してもらえるよう努めなければならないと教えられてきましたし、私自身もそう考えています。もちろん野球部のキャプテンの様に医療チームのメンバーと積極的に意志疎通をはかり、意志を一つにまとめることは医師として大変重要だと考えます。しかし、エースの様に自分の技術や医療に対する姿勢を以てチームのメンバーから信頼される存在になることも、チーム医療を成功に導くためには前者と同様に重要であると考えています。ですから、私のエースとしての経験は自らの医療活動に必ずや生きてくると思います。」
 お、即席にしては、悪くないね。
「うーんなるほど、分かりました。えっと……あなたは文系科目がよくできるみたいですね」
 「あ、はい、特に国語は好きですし得意です。」
 ふふふ。こう答えたらされる可能性のある質問はほぼ一択。「あなたはどのような本が好きですか」系に決まってる。
 すると、面接官は調査書に目を落としながらいかにも何気なしにという風で聞いてきた。
 「そうですか、じゃあここで今の気持ちを俳句に読んでみてください。」
 (はあっ!?)
 唖然、茫然、慄然。動転、反転、フル回転。閃光、推敲、開口。
所要時間五秒。タイム イズ マネー。
    「面接で  いい点とって  合格だ」    
 「ははは。今の素直な気持ちが表現されていてとてもいいですね。」
 ……まあなんか言えただけよしとするか。あ、季語入れ忘れた。
    はるけしと  思ひし桜の  にほひかな
 くらい言えれば良かったのだが。
  短い時間で医師としての適性を見極めなければならない面接試験では、臨機応変な対応力を試すために時々妙なことを聞かれることがある。例えば、自分を動物に例えると?などがその例である。大事なのは「う~ん難しいですねえ」などと言って気まずい沈黙を作らないようにしながら、とにかく質問に何らかの答えを出すよう努力することであると思う。この際答えのレベルはあまり気にしないほうが良い。最悪なケースは黙り込んでしまうことである。これは間違いない。
  東京慈恵会医科大学(面接)
 東京慈恵会医科大学の面接は集団面接五〇分と個人面接一〇分という形式である。個人面接はまあおまけみたいなものなので、集団面接について詳細に書いていきたい。集団面接とは試験官が出題するテーマについて五人の受験生がそれぞれ意見を述べる形式で、議論を受験生同士で行うわけではない。だから受験生が取り組まねばならないことは個人面接と大差ないのだが、一つ異なるのは他の受験生に自分と同じような意見を先に言われてしまう可能性があるということだ。だから、そうならないよう僕はできるだけ進んで最初に意見を言うようにしたし、できるだけ他の人が言わないようなアイデアを考えるようにしていた。それでも先に同じようなことを言われてしまった場合は「先ほどの方もおっしゃっていたように、私も……だと考えます。さらに私は……」とささいなことでもいいから付け足す形の話法を示せれば良いと思う。別に新しい意見が出てこなくても、先に言われた意見の具体例や例外などを述べるだけでも体裁はつくろえるのである。
 しかし、面接官が「君たちは型にはまった意見しか言わなくてつまらないな。多少現実離れしていてもいいからもっと若者らしい独創的なアイデアがほしいのだが……」とご不満だったことから、東京慈恵会医科大学としては対策本から抜粋したかのような模範解答よりも、多少現実味がなくても独創的な意見を聞きたいのだと感じた。
 東京慈恵会医科大学の面接を受けた友人に聞いたみたところ、どうやら集団面接のテーマは面接官によって全然違っていたようだ。たとえばあるグループは、「ビッグデータサイエンスが医療に導入されることについて」というテーマで喧々諤々の議論をまるまる五〇分繰り広げたらしい。僕のグループのテーマは、「病院の待合室を過ごしやすい環境にするためにはどのような工夫をすれば良いと思うか」「今は存在していないが二〇年後には存在しているかもしれない職業について」の二つだった。我々受験生五人が失望されたのは前者のテーマについて意見を出し合っているときで、このときは妙なことを言って落とされないようにと「壁紙を明るく……」「バリアフリーを……」など皆当たり障りのないことを言っていたのだ。さすがにこの時ばかりは泥船に乗り合わせてしまったのだはないかと大いに焦った。それは周りも同感だったようで、ある女子受験生は独創性とはこれすなわち建前を捨て自分をさらけだすことなりとばかりに、アニメや韓流ドラマを意見にねじ込み始めた。またある女子受験生は自分の親が小児科の開業医であることを何回も強調していた。おそらくその事実が自分の意見の説得力を倍増させると信じて疑わなかったのだろう。僕は正直安堵した。高校時代の経験から、面接においては女性の方が強敵になりやすく集団面接では特に警戒する必要があると考えていたからだ。今回はあいにく五人中三人が女性だった。
 二つ目のテーマに関するアイデアは問題を読んだときは見当もつかなかったので、またこびとさんの力を借りることになった。こびとさんが引き出しから引っ張りだしてきたのはなんと二〇一五年度版の赤本のまえがきだった。「最近少し気になっている言葉として『合格保証』『就活』『婚活』などがある。いずれも人生における各人の活動を単純にモデル化しハウツー化しようとしているように思われ、何か引っかかるものを感じる。(以下略)」お、これは使えるかもしれないぞ。脳ミソをフル回転した。
 「昨今の社会の現状を鑑みますと、おそらく自己決定の後に必ずといっていいほど訪れる不安や後悔を恐れているのか、現代の日本人は「婚活」や就職活動である「就活」など人生の重要な節目を他者に委ねる傾向が強くなっていると思います。この傾向がどんどん激化していくとすると、近い将来には顧客の精神的、または身体的適性をコンピュータで分析し、顧客に対して顧客が満足する可能性の高い人生の道程を示す職業が誕生するのではないでしょうか。入学する学校から職業、結婚相手までを他者に指定されることが普通となりそれを快く受け入れる人が大多数を占めるようになる社会が二〇年後には誕生しているかもしれません。」
 これはどうやら大うけだった。もしかしたらこの発言のおかげで正規合格できたのかもしれないなどと今は回顧しているくらいだ。実はこの発想は赤本以外にも、あるマンガとあるSF小説から発想を得たものだった。医学部受験の特に面接においては本当に何が役に立つのかはわからない。
  過去問のまにまに
 私大ラッシュが終わった。一仕事も二仕事も終えた気がするのだが、本命はまだ始まってすらいないのだ。ここから国公立入試まで一週間以上空いているのだが、その準備にあたり注意すべき点が二つある。
 一つ目は私大と国公立の入試のギャップに配慮することだ。問題の難易度の違いは言うまでもないが、落とし穴になりがちなのは記述量の違いである。特に物理などは、全国模試などでも導出過程を記述させることはあまりないが、国公立大学医学部では数学と同様にほぼ真っ白な解答用紙を渡されることがけっこうある。このような状況では導出過程をどこまで記せばいいのか戸惑うかもしれない。試験時間や注意書きを考慮して、どの程度記述するかの目安はあらかじめ考えておかなければならない。
 二つ目は過去問の研究をするだけで満足しないことだ。もちろん過去問の研究は問題形式に慣れ、よく出題される問題を把握するという意味で重要であることは間違いない。しかし、僕は入試期間においても予備校で使用したテキストなどの総復習など網羅的な勉強をするべきだと考えている。やはり過去問演習だけではどうしても内容に偏りができるし、問題の傾向ががらりと変わることもあるからだ。例えば僕の場合は、センターが終わってからの期間で二学期の数学のテキスト、計二二〇問を一周した。朝一番にテキストの問題を四問解くなどと決めてしまえば過去問対策や入試の本番との両立は可能だ。さらにいうと直前期だからといって計算練習や英単語の暗記などの基礎的な勉強を怠るのも好ましくないと思う。
  よもやま話(よもややむにやまれずというわけではありますまい、というスタンスの話)
 受験の合間の休み時間、受験生はどのように過ごすのが正解なのであろうか。
 パターンとしては、まず最後の最後まで参考書にかじりつく人がいる。一方で寝たり、外で散歩をしつつ体操や日光浴でリフレッシュを図る人もいる。僕は一部の例外を除き後者である。
 直前に足がいてもたかが知れてるということもあるし、こびとさんを元気にするという目的もある。ただ、参考書のかじり虫だった現役時代に直前に見て確認していた内容が出題されたという経験をしたこともあったので、ここで優劣を決めることはできない、要は本人次第ということだ。問題提起をしておきながら答えは出ずという結論だが、まあ、これはこれで……。
 ただはっきりしているのは受験のときくらい周りの目を気にせずやりたいことをやるべきだということだ。体が強張っていると思ったら恥ずかしがらずに体操をするべきだし、問題配布が終わってから試験開始までが長いなと感じたらためらわずに手を挙げてトイレに行けばいいのだ。
 そういえば先ほど「一部の例外を除き」と書いたがこれはリスニング試験の前の休み時間のことである。センター試験の項にも書いたがこのときだけは過去問の音声を聞いて耳を慣れさせておくべきだと思う。
  
  横浜市立大学入試
 いよいよラスボス登場。会場の金沢八景はかなり遠いので今までで一番の早起き、五時三〇分だった。この日はセンター試験の次くらいに緊張した。まあ今までいろいろあったが終わり良ければ全てよしということで、いざ、推して参らん。
会場は金沢八景キャンパスであるが、実は僕はここに何度も足を運んでいる。隣に市立金沢高校があるのだが、我が渋幕野球部は毎年六月にこの高校と練習試合を行うからである。なぜ千葉の学校が神奈川まで足を運ぶのかと思うかもしれないが、夏の甲子園予選の直前は同県内での試合は避けられる傾向があるからだ。とにかく当時は横市には運命に似た何かを感じていた。受験は人をロマンチシズムへといざなう。普段は運命とはベートーベンの代表作のことであり、それ以外に実用的な意味はないと考えている僕が口(筆?)を滑らせてこんなことを言い出す始末だからだ。あ、口説き文句としても使えるかもしれない。日本女性は平安の昔から運命論に弱い傾向にあるから(本当か?)。さるべきなめり(そのようになる運命であるようだ)。
話がずれにずれているのが、会場で他の私大と違っていると感じた点はやはり受験者数であろう。私大受験のときは大学によっては三〇〇〇人くらいになるが、国公立では数百人程度なのだからその差は歴然としている。しかし、まあ、受験するにあたり影響があることといえばトイレに並ぶ人数が減ることくらいだろう。
 英語
横市の英語は全部記述式である。過去問をやる際に注意すべきなのは、現状の出題形式になったのが二〇〇九年以降であるという点だ。さらにいえば二〇〇九年と二〇一〇年の英語は難しいのでできなくても気にすることはないという点である。
さて、今年。
今年は比較的易しかったのだが、一つ気になる設問があった。大問三の差額が何ポンドになるかの計算だ。予備校の解答は八〇ポンドとなっていたが、合格者四人に聞いてみたところ皆一〇ポンドと書いたという。四人の中には帰国生も含まれていて、本当に答えは八〇ポンドだったのか怪しいところである。
 数学
ここの数学はかなり特殊である。普通の受験勉強では太刀打ちできないかもしれない。過去問対策は必須である。近年英語が易化し数学が難化している傾向があるが今年もその例にならっていた。
……正直これ以上筆を進めたくない。
簡単にいうとこの試験で僕は「やらかしてしまった」からだ。
標準的な小問が四問並んでいる大問一で、僕は単純な計算ミスと勘違いが重なり一問しか正答できなかったのだ。内積の計算を間違えるような人が国公立医学部に入れたのは奇跡に近い。本番の恐ろしさを痛感した。ひとつだけ救いだったのはミスに気づいたのが全教科終了した後だったことである。見直しはしっかりしよう。
 「見直しを見直す」
見直しをいつ、どのように、どの程度するか。この問いは受験生にとっては永遠のテーマである。
誰もが「あー計算ミスでこの大問をほとんど落としてしまった!」などという経験はしたことがあるはずだ。しかし、特に数学において僕は現役の頃ほとんど見直しをしたことがなかった。模試などではすべての問題を時間内に解き終わることはなかったし、見直しという作業はその大半が得点向上に寄与しないため、どうしても後ろ向きの作業だという気がしていたからだ。しかし、多くの失敗と試行錯誤を重ね、浪人時代の模試や入試では概ね次のような順番で問題を解いていた。大問一番で凡ミスした人のやり方なんか百害あって一利なし、と言われるかもしれないが、まあそこは多めにみてくださいまし。
数学
1 まず全体を見渡し、解けそうな問題、時間をくわなさそうな問題、たとえば小問集合などから解き始める。この際思考や計算の過程を必ず残しておく。
2 完答が難しそうな問題はとりあえずさらさらと解けるところまで解き、後でどういう設定で解き進めたかなどをすぐ思い出せるように図などを書き残しておく。
3 解いた問題の問題文を読み違えていないか確認した後、計算ミスをしそうな箇所のみを集中的に見直しする。
4 難しい問題に取り掛かる。
感覚的には大体③まで終えることができれば良いと思う。つまり問題文をぱっと見て何だかよくわからないと思った場合はその問題が有効な得点源になることはほとんどないということだ。ついでにいうと試験本番はいつもより時間が早く流れていると感じるので、熱中しすぎて序盤の問題で時間を消費しすぎないよう気をつけるべし(防医の数学と横市の物理でこの愚をおかしてしまった)。目安としては、序盤の問題では均等に時間配分した場合の制限時間を超えないように配慮したい。
 英語
1 全体を眺めて問題形式を把握してから、文法問題や英文和訳などが出題されていたら、長文を読まなくても解ける問題をまず解く。迷った問題には印をつける。
2 残り時間からマイナス五分をし、それを長文の数で割り、その時間を目安に長文読解問題を解いていく。さらに残った時間で迷った問題、和文英訳(英文和訳)をチェックする。
ポイントは文法問題を解いてから時間配分を決めることと、和文英訳(英文和訳)を見直すことだ。文法問題は長文とは違い時間を決めたところで解くスピードに変化はないだろうし、逆に長文はどのくらい正確に読むかで時間が大きく変わってくるのでどれだけ時間を使えるかを知ることはとても重要である。和文英訳などは説明問題とは違い見直しに時間がかからないうえ、副詞の訳し忘れなどは意外によくあることだからだ。
理科(物理)
一科目あたり九〇分もあるから余裕だと思いきや、時間が足りない。記述に戸惑わなければなんとかなったのかもしれないがそう、うまくはいかない。まず大問一の胴上げ問題で時間を四〇分ほど使ってしまった。いきなりさきほど書いた手順に違反している。でも、物理は六割取れれば十分だと考えられる。
 理科(化学)
いま一つどか、いま三つの出来だった。あれほど特訓した有機化学に時間を取られすぎ、しかも半分しか答えを埋められなかった。金属結合に関する一八〇語の記述も白紙で提出してしまった。特に分子量一一六と書いてあるのにマレイン酸とフタル酸が思い浮かばなかったのが痛かった。一体、どうしたのだろう。
 ワレ受験ニ成功セリ
私大では比較的上手くいっていた僕がなぜ国公立でこうもミスにミスを重ねてしまったのか。理由は様々考えられるが今考えるに、ここを落としたら今までの全てが無駄になるという重圧と、ここまでとんとん拍子で来たのだから今回もなんとかなるだろうという驕りが融合されてこの失態を招いたのだろう。今後の人生を見すえ大いに反省せねばなるまい。
ともかくなんとかやっとこさ僕は国公立医学部に合格した。掲示板に自分の受験番号を見つけたときの気分は、なんとも表現しがたいものだった。強いていえば、海外で落としたパスポートが見つかったときの気持ちに似ており、肋骨が浮き上がるかのような奇妙な感覚を覚えた。「胸が詰まる」「胸がこみ上げる」とは言い得て妙だな、としみじみ感じた。
 
現役時代の反省点をふまえた10箇条
1標準問題もろくに解けないのに難しい問題にばかり取り組むな。
2勉強と休息の切り替えをうまくせよ。
3いつまでも「何とかなるだろう」とおもうな。
4毎日消化できるはずのないギチギチの予定を組むな。
5復習をおろそかにし常に新しいことをやろうとするな。
6量ばかりを追い求めず何をすれば受かるのかを真剣に考えよ。
7息抜きすることは良いが本や漫画を読み現実逃避をするな。
8多くの参考書に手をつけず、一冊をやりこむことに集中せよ。
9一度解いたことのある問題でも解答を確認するだけでなく、完全に消化するため繰り返せ。
10運動を全くしなかったので、体調がすぐれないときがあった。
浪人時代の反省をふまえた5箇条
1受験失敗から立ち直るのに時間をかけるな。
2すきま時間を上手く使え。
3模試の結果で一喜一憂しするな。
4「医学部なんて無理ではないだろうか……」などと弱気になるな。
5直前期に無理をするな。マスクを嫌うな。体調管理が上手くできなければインフルエンザが寄ってくるぞ。
医学部合格のために必要なこと8箇条
1集中力と体力をつけよ
2毎日規則正しく健康的な生活を送れ
3基礎に徹底的にこだわれ
4いつでも心を平静に保ち淡々と日々の勉強に取り組め
5人が勉強していないときこそ勉強せよ
6本番で自信をもって取り組めるよう「だれにも負けない」分野を作れ
7本番で得点を伸ばすために今何をすべきかを常に考えよ。目的意識をもって勉強せよ
8「一〇〇個のうろ覚えの知識」より「有機的につながり合った一〇個の完璧な知識」の習得を心がけよ


   

〈第三回〉

二〇一四年一一月
防衛医科大学一次試験来たる。今年度初めての受験であり、やはり緊張した。そのせいか数学と物理でとんでもない問題の読み間違いをしてしまい、大幅に時間をロスしてしまった。緊張していたせいもあるだろうが、基礎がかたまりきっていなかったことが原因である。何故なら根本的なところで間違っているときに感じるべき「違和感」を抱かなかったのが一番の問題だと思うからだ。まだ医学部に挑めるような実力がついていないから防衛医大は受けないという人も多いが、本番でしか得られない教訓は多くなるので望み薄でも受験するべきだと僕は思う。実際問題を読み間違えることがあるなんてそれまでの人生で僕は全く考えもしなかったのだ。ただ落ちたときのショックに自分は耐えられないと思う人は受験は回避したほうがいいかもしれない。実際僕も同様だった。防医に関して僕はB判定より下を取ったことがなかったので「まあ受かるだろう」と高をくくっていた分衝撃が人一倍大きかったのも事実だからだ。まあ、そもそもB判定ぐらいでそう思っている時点で僕の甘さが露呈しているのだが……。あ、そういえば模試の話をしていなかった気がする。

時には模試の話を…

模試は復習が命である。
誰でも聞いたことがあると思うが、果たしてしっかり模試を復習している人がどれくらいいるだろうか。恥ずかしながら僕は現役の頃ほとんど模試の復習をしていなかった。普段の勉強に模試の復習を上乗せするのが辛かったし、そもそも模試の復習にあまり意味を見いだせなかったからだ。ただ浪人してからは自分の勉強スタイルを見直し、人がやるべきだということはとりあえず食わず嫌いをせず試してみた。その中に模試の復習を含めた。次に挙げる二つの点から模試の復習は実力を伸ばすのにとてつもない効果を発揮すると実感した。
①まず、全国模試の問題が、他の問題に応用できる多くのひな形を含んでいるという意味でとても優れている点である。少なくとも河合と駿台はそう言えると感じた。なぜなら模試は受けたあとはその試験問題がそのまま良質な「教材」となるように作られているからだ。でなければあんなに詳細な解答解説はついてこないだろう。
②本番同様に問題を解くことで、「あれを捨ててこれをやれば点数が伸びた……」「詰まったときは一旦落ち着いて基本に立ち返るように意識すればいいんだ!」など様々な教訓が得られ、得点を最大化するための自分だけのマニュアルを加筆修正できる点が良い。
さらにいうと模試はは少なくとも二回は復習すべきだと思う。一回目は当日であり、二回目は成績返却のときである。特に当日に復習をするのがミソで、まだどのように問題に立ち向かったかを克明に覚えているうちに、復習することに意味がある。間違えた問題について「本番で似たような問題に出会ったら今度はどのように頭を動かせばいいのか」を訓練するためだ。野球で言えば。相手投手のカーブで打ち取られた打者が、どのようなイメージで身体を動かせば次の打席でそのカーブを打つことができるかをボールの軌道を思い出しながら考えるのと同じである。

二〇一四年一二月
センター試験が怒涛の勢いで迫ってくる。
僕の机の前には「センターまであと○日」カレンダーがある。ついこの間まであと一〇〇日くらいだった気がするのにもう三〇日しかない。〝光陰ライフル弾の如し〟。粛々とセンター対策を行う。その方法を以下に科目別に書き連ねてみる。

 社会(日本史)
社会科目は直前期までは学校や予備校の授業をしっかり聞くだけで十分だと思う。直前期には参考書などを使用する。僕の場合はZ会の「九割をねらえ!解決!センター日本史B」に書き込みをしながら誰もいない部屋で歩き回りながらぶつぶつ音読した。椅子に座り続け疲れたときの気分転換になるし、なにより頭に入ってくる。

 国語
まず古文漢文の知識を完璧にすることが重要である。古文漢文の暗記事項もやはり日本史と同じように〝不審者風音読〟で覚えた。あと厳しいかもしれないが社会科目と古文漢文のうちどちらかは夏休みあたりに一通り済ませてしまうのが理想である。でなければ直前期にこの二科目の対策に時間を取られて他の科目が演習不足になってしまうからだ。

 英語
センター英語はもっとも得点が安定する科目なので、早いうちに安定して九割を超えられる実力をつけておくべきだ。英語はその特性上センターも二次も先行逃げ切りが理想的である。具体的には長期休暇の期間に「ネクステージ」(桐原書店)を二、三回、まわし、分からないところを先生に聞くという作業を行えば良い。この方法で文法に穴がある人は特に相当得点が伸びるはずだ。
ちなみにネクステージ、通称ネクステは僕の大好きな参考書の一つで、僕はこれを「取るべき標準問題」の基準としても利用していた。つまりこれに載っている問題は絶対取れるようにし、載っていない問題は取れなくてもしょうがないと割り切っていたということだ。覚える範囲をある程度決めないと、際限がなくなるからだ。このことは受験において有効だ。

 リスニング
リスニングは、どれだけ英語の音声を聞いたか、その量が勝負の分かれ目だと思う。過去問をやるのはもちろんだが、音声CDがついている単語帳を買い、英単語を覚えがてら耳を慣らすというのも一手だ。余裕があればNHKのラジオ講座を聞くのも効果的だが、まあ余裕がある医学部受験生なんて黄身が二個ある目玉焼きくらい希少だと思う。

 数学
まず普段の勉強で標準的な手法をマスターしている必要がある。センター数学はものすごく丁寧であり、見方によってはうっとうしいほどの誘導がついているが、この誘導が示している解法を知っているのと知らないのとでは解くスピードに大きな差が生じるからだ。それと同時にセンターでしか使えないような手法を「センター試験必勝マニュアル」(東京出版)などでいくつか知っておくと有利だ。特に微分と積分の項とベクトルの項は役に立った。
また、新課程になって旧課程の過去問をどうしたらいいか迷うところだが、僕は自分が苦手だったり時間がかかったりする分野だけをまとめて一〇年分解いたりしていた。これは何もセンター対策だけに限ったことではなく、例えば確率が苦手だと感じたら自分が持っているテキストや参考書、模試の中から確率の問題だけ抜き出して一日中確立と取り組んだりしていた。一日を一つのテーマでつぶすなんてもったいないと思うかもしれないが、一日で一分野の苦手意識を解消できたらしめたものだ。

 理科(物理、化学)
旧課程ではセンター特有の問題への対策が必要だったが、新課程になってからは範囲がぐんと広がり、その分そのような出題がほとんどなくなった感がある。といってもまだ一回しか新課程入試は実施されていないので今後どうなるかはわからないが……。よって基本的にはセンター試験へ向けた特別な勉強は必要なく二次対策+センター演習で十分だと思う。

 ALWAYS本番のための練習
本番で実力を発揮するための方法はいくつかあるが、僕が一番重要だと思うのは本番と同様の体験を事前に経験しておくことである。センター試験ではマーク模試がそれにあたるのかもしれないが、本来二日で行うものを一日に詰め込むため、時間的感覚がずれる。僕は全教科の予想問題が入ったパック問題をコピーして予備校の友達と共有し、みんなで予備校の空き教室に集まって本番と同じように試験に取り組んだ。これによって本番のタイムスケジュールに身体を慣らすことができた。いよいよセンター試験が始まる。どきどきだ。
 

〈第ニ回〉

 二〇一四年八月
予備校生にとっては予想外の寒さに注意が必要な季節。冷暖房のせいで季節が逆転するからだ。ついでに昼夜逆転にも注意。受験生の流行病だからだ。僕は勉強が途中でも一一時に寝て六時に起きるようにしていた。睡眠時間帯を固定したほうが身体にいいのは言うまでもないし、勉強の計画を立てやすいからだ。まだ起きている時間が毎日同じなので、自分が昨日よりも集中して勉強できたかどうかが一目瞭然だからだ、天才ならいざ知らず、ごくごく平凡な人が医学部に合格する秘訣は「意味あることを、毎日欠かさず、淡々とこなす」ことだと思う。「継続は力なり」というあまりにも有名すぎる格言通り、一年近く毎日何かを継続することは、本当に凄まじい効果を出す。そしてその毎日のルーティンを継続させるために必要なのが「禅の精神」だと思う。今日は眠いから、今日は他にやることがたくさんあるからと自分に言い訳ばかりしていると、現役時代の私の様に全落ちする憂き目に会う確率が限りなく1に近づいていく。そして毎日のルーティンを継続するために必要なもう一つの要素は健康な身体だ。受験生は時間がないとはいえ、多少は運動をするなどして体調管理に努めるべきだ。例えば僕は週に一、二回泳いでいた。
 二〇一四年九月
いよいよ基礎固めが終わり、応用実践へと思いきや、僕の予備校ではまた標準的な問題を解き散らかす演習形式の授業となった。当時は「「つまんない……難しい問題解きたい……」と思ったものだが、この徹底した基礎固めが合格に直結したのだと今では確信する。確かに医学部ともなれば難問を出題する大学も多いが、それらは解きほぐすコツを覚えれば標準問題の組み合わせでしかないし(解きほぐせないからこそ難問なのだが……)、もし解けなくても標準問題をがっちりおさえていれば合格はもらえるからだ。それに標準的な問題とは言っても一学期とは違う問題なので、標準的な手法を網羅できていないとすらすら解くということは到底叶わず、先生方に「一学期にも同じような問題を解いたんだけどなあ……」とにやにやされながら問題にタックルし続ける羽目になった。しかしこの特訓のおかげで、まだまだ荒削りだった標準的手法をあらゆる角度から磨きあげ、本番までになんとか汎用性の高い標準的手法一式をマスターすることができた。実は受験生の多くが入試会場に持っていくのを忘れるのがこれらの標準的手法一式なのだ。本質的に考えれば、鉛筆や消しゴムや受験票の他に、「自信」と「標準的手法」と受験案内の持ち物欄に記載されているのが分かるはずなのにだ。
ところで標準的問題とはその問題を解くマニュアルが作りやすい問題のことだ、ここではと勝手に定義する。マニュアルとは例えば「対数関数をみたらとりあえず真数条件と底のの条件を確認する」「英文が読めなかったら落ち着いて文型を特定せよ」「逆滴定は線分図を書け」といった「お決まり、お約束」のことだ。よく「標準的な問題は解けるんですけど、ちょっと難しくなると……」と悩む人がいるが、そういう受験生は本当に標準問題を全て手際よく解けるのか是非とも聞いてみたいところである。浪人にしろ現役にしろ、冬休みまでは適切な「お約束」を適切なタイミングで実行できるように、徹底的に標準問題を解くべきだ。「お約束」を網羅してその運用を熟知すればたいていの医学部は受かる。
 二〇一四年一〇月
防衛医科大学の入試が近づいたため、普段の勉強に過去問演習をはさむ。防衛医科大学は択一式が重要だといわれるので、この時期はその練習を重点的にこなした。ただ、特に択一の数学が一昔前より難化しているので、直前期に傾向の異なる古い過去問をやるのは避けたほうがいいと思う。
天高く馬肥ゆる秋というが、受験生にとっては空の高さが何mだろうとどうでもよく、またストレスと疲れのせいか体重は減る一方である。本番まで体力が持つのだろうかと心配が尽きない今日この頃である。

〈第一回〉

  二〇一四年四月
この頃は正直勉強する気が起きなかった。同じ野球部の仲間が今頃憧れの医学部ライフを満喫していることを考えると、さらにやる気が削がれていった。あまり思いつめてもしょうがないのでとりあえず気分転換にと高校の卒業旅行に行くには行ったが、現役合格者との見えざる壁を感じざるを得なかった。それは、時々あからさまな鉄のカーテンとなりさらに意気消沈してしまった。この頃はちょっとしたことで家族と大喧嘩したりもするし、人生の歯車を一個つけ間違えたがゆえにすべてがあるべき方向と逆に回り始めたような感覚だった。この頃の日記らしきものが残っていたので、少し抜粋してみる。 
四月四日
どうやら僕は自分のことを過信し、過大評価しているようだ。目の前の本やマンガが気になって一年後のための勉強が全然進まないのに、自分は真面目で勤勉であり勉強熱心だと思い込んでいる。まるで世界中の人々が日本人は皆そうであると思い込んでいるのと同じようだ……。今の気分は念入りにアイロンがけされたマシュマロみたいなものだ。あるいは二〇トンローラーにひかれたクレープみたいな感じか。何故ってぱっと見スイートで、でも当人はかなり絶望しているが、客観的にみるとかなり滑稽だから。
僕は生まれて初めてといってもいい挫折をまだ引きずっている。それどころかこじらせているのがよくわかる。挫折と思しきものは以前にも経験しているにはしている。例えば中学受験時はまだ自我が芽生えていなかったのか志望校に落ちてもショックを引きずらなかったし、野球の試合で負けてもそれは自分一人の責任ではなかった。事実上人生初めての自責点といったところだ。受験の失敗の原因が己にあり、責任逃れできるはずもないことは明白だった。そもそもこんな日記を書いている暇があるなら勉強しろとこの頃の自分に怒鳴りつけたい気もするが、こういう遊びがないと精神崩壊しそうだったのもまた事実。
四月一〇日
今日のひとりごと:「あいつとは波長が合う」などというが、仲が良いことを言いたいのならば位相も合っている必要があるのではないか?などと考え込んでしまった。物理学では位相とは時間とともに周期的に変化する現象において全過程中の位置を示す量のことだ。月の満ち欠けに対し四分の一周期ごとに上弦、下弦の月……と名付けるようなイメージで位相を決めるので、位相が分かればその現象が今一周期の中でどの状態にあるかが分かる。ちなみに二つの波が重なるときそれらが同波長かつ同位相なら強め合うが、同波長かつ逆位相だと逆に弱め合ってしまう。だから、仲が良いことを言いたいのなら位相も合っている必要があると考えたわけだ。
「進撃の巨人」一三巻読了。「進撃の巨人」とは巨大な円形の壁の内側に身を潜めて暮らす人類と、正体不明の巨人との壮絶な戦いを描く今もっともホットなコミックだ。ここに来て、とうとう調査兵団がクーデターを起こした。何だか話が随分と現実的になってきた。ここまでストーリーが進めばこの歪んだ世界を改革せにゃって立ち上がる人が出て来るのはむしろ普通の流れなのだが、どうも次の展開が透けて見えるようで、物語の序盤にビンビン伝わってきたどう転がるか分からない緊迫感が最近薄い気がする。ま、ともかくこれからは月に一回くらい買うマンガを指定して、それを励みに勉強を頑張ろうと思う。「馬の鼻先にニンジン」方式というヤツである。
「馬の鼻先にニンジン」方式は一見合理的なやり方であるが、これをやりだすと決まってまともに走りもせずにニンジンばかり食べるようになるのが我らホモ・サピエンスである。受験の際に息抜きは大事だというが、僕の経験からすると息抜きの方法は本当に慎重に吟味しなければならないと思う。経験則上音楽やストレッチなど、あまり時間がかからず、中毒性が少ないものにすべきだと思う。ちなみに読書は本好きにとっては中毒性が高いものに属するが、速読力や読解力の維持向上につながるので僕は電車の中で司馬遼太郎などを読んでいた。これはセンター試験で日本史選択だったので一石二鳥だった。ちなみに冒頭の「今日のひとりごと」はとりあえず書いてあったから載せただけである。深い意味はない。
 二〇一四年五月
予備校生活にも慣れはじめた。それでも疎外感は消えることがない。大学生でもなく高校生でもない、社会から「身分」を与えられていないかのような疎外感を噛みしめつつ、日々勉学に打ち込まねばならない。この頃はほぼ授業とその予習復習だけで一日が終わるが、朝の英単語の音読だけは毎日続けた。暗記ものは音読に限る。例によって当時の日記を載せる。
五月二七日
先週、今週と殺人的に多忙だ。とても日記など書いている暇がない。否、心の余裕がない。いつも先に飽和するのは時間ではなく人間の精神のほうだ。これが「時間はつくるものだ」という表面上理解不能な格言が逆説的に真理足りえてしまう所以だと思う。まあ、思ったところで心の余裕が生まれるわけではないが。
 二〇一四年六月
六月二日
気が付けばもう四月の終わり、そして五月が過ぎ、あっというまに六月がやってまいりました。梅雨らしからぬうだるような暑さで私の気力と体力をむしばんでくるのだが、そろそろ雨が降り始めて気温も下がることだろう。以上、能天気でした。
この頃になると不合格のショックも薄らぎ、文面通り能天気とまではいかないが、比較的平穏な気持ちで日々を過ごせた。今はローラーでペンキ塗りするようなイメージで基礎固めに専念している。とはいっても具体的にやったことといえば授業の予習復習と英単語の音読くらいだが、これらを毎日徹底的にやった。そう考えるとローラーでペンキ塗りという比喩は少しニュアンスが違うかもしれない。漆を塗り重ねるように、と表現するのが妥当か。何回も塗り重ねるうちに器はどんどん上質になっていく。
漆塗りのコツだが、僕がやっていたのはどの時間帯に何をするのかを一週間単位で大体固定してしまうことだ。例えばこんな感じだ。
 月曜日
八時~九時:英単語の音読+先週の和文英訳の復習
九時~一二時一五分:一限(和文英訳)、二限(英文法)
 ~昼食+昼寝~
一四時一五分~一八時:三限(理論化学)、四限(現代文)、5限(有機化学)
一八時~:今日の化学の復習、今日の英語の宿題、明日の数学の予習、その他(模試の復習など)
要は授業以外の自由な時間帯に取り組むことをあらかじめある程度決めておくことで、何をすべきか迷ったり、復習をし忘れたりといったことがないようにしてしまうのだ。ただガチガチに組んだ計画というものは崩れやすいので、できるだけゆる~く組んでその時々の状況に柔軟に対応できるようにしたほうがいい。釘を使わずに組まれた五重塔が地震で倒れないのと同じ原理だ(違うか……)。
ただ、ここまで言っておいて何だが、自分の心の声には素直に耳を傾けるべきである。「今日はとてつもなく物理の単振動を解きまくりたい!」などと感じたことはないだろうか。そういうときは予定を無視して一日中単振動の問題に取り組むべきだ。不思議なことに一日で実力が飛躍的に向上する。
 二〇一四年七月
天気晴朗なれど蒸し暑し。今月は後輩たちの晴れ舞台、夏の甲子園予選があった。彼らの成長ぶりは目を見張るものがあり、一五〇校を軽く超える激戦区千葉県において見事ベスト一六に輝いた。もちろん本人達は嬉しかっただろうが、僕も本当に感動した。間違いなく一年間の浪人生活の中で二番目に嬉しかった(さすがに一番は医学部合格)。新チーム結成時は「大丈夫かな……」と思ってしまうくらいの実力だったのに、わずか一年後には信じられないほどの大成長を遂げて見せた。彼らも一年でこんなに成長したんだ、さあ僕も頑張らねばと奮い立った。ここで元気をもらえたことが大きなターニングポイントになったのかもしれない、と今振り返って思う。
 

東日本大震災を乗り越え5浪で医学部合格を果たした、
たっちやんの「医学部受験生活日記」



<最終回>

二〇一五年 一月

 センター試験初日。駒場東大が会場で縁起がいいと勝手に思い込んでいる。受けにくる現役生は、芝、暁星、駒東と有名校ぞろい。英語の試験の前には、噴水前に集合し皆でアクセントの絶叫大会。叫んでいた中に、実際に一つ本番で出題された単語があったから凄い。結果、国語が失敗。あんなに古文漢文にエネルギーを費やしたのに…と、仕方なく、足切りのない、そしてまだ見込みのある広島大学に出願。センターリサーチのすぐあとには、ウォ―ミングアップのつもりで愛知医大を受験した。私大に気持ちを切り替えなければならない。
 多浪でも、成績は伸びる。これは本当にK予備校のお蔭かも知れない。最後の詰めをおさえてくれた感じだ。前半の私大5校は全て一次突破。この三年毎年どの大学も難しくなっていると感じていたが、余裕が出来たからか、難しく感じることはほとんどなかった。愛知医大からは多浪なのに正規合格をもらった。後で分かったことだが、四浪以上で正規を勝ち取ったのは自分だけで、残りの多浪生は後ろの補欠に回されたらしい。
 ただ、二次試験の受験で愛知に行ったり、北里、埼玉に行ったりと、私大の本命の日本医科大学は集中できず、一次落ちしてしまった。実際英語の試験では、今年初めて頭が真っ白になった。二週間近く戦うことを視野に入れて、体力は温存しておいたほうが良かったかもしれない。

 東京医科大学、昭和大学は、全科目共に快心のできだったものの、一次突破は出来なかった。ほぼ毎日一次試験と二次試験で埋まるという贅沢な忙しさが続き、大本命の国立も無事終了。広島大学の試験は自己採点でかなり良かったが、センターの点数が足を引っ張っているので厳しい。あと国語で三〇点あればと今でも悔やまれる。この時まだ愛知の合格しかなく、他は全て補欠だった。広島に行きたかったが、望みは薄いとみて、愛知に行く準備をしていたころ、自分の誕生日に日大から補欠が回ってきた。三年目で落ちたので、内心不満であり、上の大学に行きたい気持ちが強かったが、これを運命と思い日大に行くことが決まった。今振り返れば、最高の誕生日プレゼントだ。今の予備校に出逢わなければまたもう一浪していたかもしれない。

二〇一五年 三月

 今振り返ると、基礎がない段階で大手予備校に通ったことは間違いだった。思うに、中学受験をして一貫校に進学している人たちは、本質的に基礎のレベルが違い、一年の浪人くらいで医学部合格するんだなと痛感した。なかなか医学部に決まらない人は、基礎に戻り、学び直したほうが良いかもしれない。

 実際に自分も四浪の時に、中学の数学の問題集を四月にすすめられたこともあった。そんなことを思いながら、今は毎日のように現役、一浪でともに学んだ友達と飲んでいる。S予備校に行かなければ、こうした友人は得られなかったと思うと、すこし複雑な気持ちになる。浪人時代は、周りが医学部に進学する中で、一人予備校に通い続けるのは、体験した人にしか分からない不安と焦りが伴うと思う。

 そんな中、『自分は自分、他人は他人』と割りきり、思考を変えて浪人時代を送れることは精神的に有利に大きく働いたと思う。

''長い浪人時代の反省点を踏まえた8箇条
''
1 現役時代に医学部受験をなめるな。勉強をせずにただ無為に過ごすな。
2 基礎を完成させよ。
3 基礎がないのに、勉強を継続しても無駄な努力となる。 
4 勉強以外にうつつを抜かすな。
5 ミスが多ければその癖の修正を早期に行え。
6 精神的に打たれ強くなれ、周りにながされるな。
7 失敗を恐れ、そこから逃避するな。
8 自分に優しくするな。自分の気持ちを都合のいいように上手くごまかすな。

''医学部に受かるために必要なこと9箇条
''
1 最底辺の基礎をいち早く固めよ。
2 高め合い競い合う仲間を作れ。
3 毎日予備校に通い、その塾の方針に従い生活せよ。
4 規則正しい生活を心がけよ。
5 模試は弱点の発見として活用し、結果に左右されるな。
6 結果を出すまで根気強くやり続けろ。
7 目標に向かい全てを犠牲にする覚悟をもて。
8 辛い時、勉強したくない時にこそ勉強せよ。勉強できる時にするのは誰でもすることだ。 
9 体調管理をしっかり行え。適度に体を動かせ。

3月31日、回って来ないと思っていた杏林から合格の電話。時間を見ると夕方の五時半。こんなドラマみたいな展開が本当にあるんだなと、思いながらも、今まで何回落としてきたんだよ。との贅沢な葛藤があった。そんな相反する気持ちを噛みしめながら、丁重に入学を辞退。この補欠合格は俺みたいに長く医師になりたくて、その夢を叶えたいと感じる人にどうか回って欲しいと願った。

※小林の感想は博士のお仕事日記に記載しています。ご覧ください。


<第九回>

二〇一四年 春

紹介してもらった人に『見た目に騙されないでね。建物はボロイけれど、すばらしい塾よ。』と再三念を押された。この人の御子息もその予備校で一年お世話になり、金沢大学医学部に進んだとのことだ。紹介されたその日にK予備校を訪ねたが、場所が分からない。あとから振り返り気付いたが、塾の目の前を何回も通り過ぎていた。つまり、あまりに医学部予備校らしからぬつら構えだったのだ。この日、初めて塾長と面談し、【自分が何でこんなに浪人しているのか?】そして【何が足りないのか?】を明確に指摘され、目から鱗だった。こんな基本的で本質的なことを、今まで通った塾に指摘されることもなく、ただ過ごしてきたことが悔しく、親に申し訳なく思った。指摘されたことは、物理の基礎があやふやであり、そのため、偏差値60で頭打ちになり足踏み状態であるということ、また、英語の単語力が不足しているため70を突破できずにいることなどだった。この指摘を受け、ここ押さえれば、二次試験も正規で突破出来ると直感し、その日に入塾の手続きをした。暗かった視界がさーっと晴れた気がした。

二〇一四年 春~

 この塾は、今まで在籍したどの塾よりもハードだった。数学も6つの授業が組まれ、系統的に分類され、多浪の自分でも予習をこなすのが大変だった。また、神戸大学に進学したかったので、国立対応が可能となるように時間割を組んだところ、ほぼ毎日が授業でパンパンになった。勉強時間の確保が難しくなったが、自習室が朝7時から解放されていることを知り、毎朝家を6時に出て、7時に入室することにした。
 校外模試とは別に、二週間に一度のペースで校内テストが行われる。競争意識を高めるために、番号と名前が張り出され、競わせるのが目的らしい。このテストを基準に、クラス分けも同時に行われる。入塾当時は、上のクラスだったものの、六月のクラス分けで、失敗してしまい下のクラスに落ちてしまった。納得のいかなかった自分は、却ってきたばかりの模試を塾長に見せ、『校内で3番以内にいるから、全部のクラスを落とすのはおかしい』と直談判した。この時、塾長には『そういうマイナスの現実を受け入れ、結果ではね返して、また上に戻ってきなさい』と言われた。はじめて、自分のプライドの高さを指摘され、遠まわしに受験に落ち続けている原因を教えられた気がした。しかしながら、よく塾のトップに盾突いたとおもう。本当に迷惑な生徒だった。後日談だが、ある事務の担当者が、『あの時、この子は何を言ってるんだ、とマジで思ったよ。』と言われた。当然だ。

二〇一四年 夏~直前

 夏期講習は前期の授業の流れをくんでいるので、大手の予備校のように、自分で講習を選択する手間がないのが良かった。前期の基礎的な確認をして、夏に+αの問題を解くので、無理なく実力を付けることができたと思う。この頃になると、事務の方々、各教科の先生方たちともよく話すようになった。多浪をネタにされ、いじられることはあったがこの環境にうまく解け込むことができた。
 塾内で友人もでき、国立志望の仲間とセンターパックを一緒に解いたりと、一浪時代の頃を思い出すひと時もあった。伸び悩んでいた物理もこの塾の講師のおかげで、安定して得点のとれる教科に成長した。成績にブレがほとんどなく、コンスタントにわずかであるがまだ成績が上昇している。これで落ちたら、来年はもう医学部に進むことはあきらめようと思った。

<小林のコメント>
たっちゃんの医学部受験生活日記もいよいよ終盤。
たっちゃんの運命やいかに。次回は最終回。お楽しみに。



<第八回>

二〇一四年 一月

 受験が進むうちに予想外のことが起きた。一次が全く通らない。去年通った日大すら落ちてしまった。これには担当の先生も言葉がでてこなかった。杏林大学は去年よりも何故か出来なかった。
これは手応えで明確に分かるくらいだった。北里大学の入試は、数学の問題をザッと見たところぜんぶ解けると感じた。しかし、解いてくうちに、計算の多さから自分が描いていた時間配分とズレが生じ、焦ってしまった。解けるはずの問題もミスで落としてしまったのだ。東京医科大学はやはり数学がうまく行かなかった。数学は出来ると強いが、失敗すると両刃の剣になると感じた。こんなバタバタの中、埼玉後期、昭和のⅡ期を出願。

埼玉後期は一次を通ったものの、正直あまり乗り気ではなかった。埼玉の二次試験の日、心に迷いが生じているからか、電車で向かう途中で冷や汗が吹き出し、真冬なのに汗が止まらなかった。知らないおばちゃんに『お兄さん、すごい汗だよ。大丈夫?』と声をかけられる有様だった。途中で気持ちが悪くなり、川越で一回吐いてしまい、時間に危うく遅れるところだった。面接は何とか乗り越えたが、帰りの電車はまた吐かないように集中した。

ヘトヘトになりながら受けに行ったので、スパッと決まる奇跡を信じていた。2月28日の合格発表日、二次を受けた人200人全員を補欠にしたので、あー、まわって来ないな、と悟った。昭和大学のほうは試験終了後自己採点をしたところ、約75パーセント近く取れていた。ただ、問題が非常に簡単だったため、高得点の争いの末に、一次突破さえ出来なかった。埼玉は当てにせず来年の準備にとりかかった。埼玉の教訓から一次よりも二次の壁のほうがなお一層ぶ厚いと感じた。来年は五浪である。

年々受験者数がどこの医大でも増加し、純粋な倍率でも30倍を超えることは当たり前だ。どうすればいいか分からなくなってきた。今年の受験の失敗は今振り返れば、ミスが多すぎた。普段なら何の苦もなく解ける問題までも本番でミスしてしまう。自分が出来ても周りが同じように出来ていれば意味がない。ただ、ミスをしてはいけない。それを痛感した。そんな時、ある親しい人から、別の塾を勧められた。それが、西新宿のQ予備校だった。

二〇一四年 春

紹介してもらった人に『見た目に騙されないでね。建物はボロイけれど、すばらしい塾よ。』と再三念を押された。この人の御子息もそのQ予備校で一年お世話になり、金沢大学医学部に進んだとのことだ。紹介されたその日にQ予備校を訪ねたが、場所が分からない。あとから振り返り気付いたが、塾の目の前を何回も通り過ぎていた。つまり、あまりに医学部予備校らしからぬつら構えだったのだ。この日、初めて塾長と面談し、【自分が何でこんなに浪人しているのか?】そして【何が足りないのか?】を明確に指摘され、目から鱗だった。こんな基本的で本質的なことを、今まで通った塾に指摘されることもなく、ただ過ごしてきたことが悔しく、親に申し訳なく思った。指摘されたことは、物理の基礎があやふやであり、そのため、偏差値60で頭打ちになり足踏み状態であるということ、また、英語の単語力が不足しているため70を突破できずにいることなどだった。この指摘を受け、ここ押さえれば、二次試験も正規で突破出来ると直感し、その日に入塾の手続きをした。暗かった視界がさーっと晴れた気がした。

<第七回>

二〇一二年 入試~二〇一三年 春

 初めて一次試験を突破できた。序盤の杏林、東邦、東海大学は、すべて落ちてしまったが、医学部最後の受験校の日大が通ったのだ。この時に感じたことは、去年よりもどの大学も難しいと感じたことだ。去年受けた、オ―ソドックスな問題を出題した大学も、今年から少しひねりの入った問題が増えたからそのように感じたのかも知れない。自分がこの一年で伸びた偏差値の分だけ、大学の難易度も上昇している気がした。さて、日大の二次試験の面接も上手くいった。やっと今年で終わると思い結果を待ち望んだ。しかし、結果は補欠扱いだった。
 この頃ちょうど天皇陛下の心臓手術の執刀を担当した天野教授が三浪して日大に進んだと話題になっていた。今年自分が受かれば、全く同じスタンスになると思い、大学から通知が来るのをただひたすら待ちつづける地獄の毎日だった。日大は補欠番号を振らないので合格の知らせがいつ来るか本当に分からない。ただ神に祈る事しか出来なかった。何の知らせもなく日付が4月に変わった。
 
二〇一三年 春
 
 四月の一週目。神戸に旅をした。理由は特になく、ただ現実を受け入れられなく、たった一人の傷心旅行だった。一人で有馬温泉に泊まり、風見鶏の館、異人館などハイカラ満喫な神戸の街を楽しんだ。ただ、天候が雨だったのが、少し残念だった。ふと、神戸大学の医学部附属病院が近くにあることが分かり、最寄駅まで行き大学病院を見学した。病院の雰囲気が非常によく、病院内には、吹き抜けがあり、全体が明るい印象だった。受付には、オリックスで現役引退を表明した、清原選手のユニホームとバットが展示されていた。街もとても素敵な場所だった。前回の入試で、最終的に私立が回ってこなかったことから、私立より国立を目指すか、と、国立対応の試験準備をすることに決めた。
 去年深刻だった化学を補強するために、個別の塾を掛け持ちしていた。その塾に今年籍を置くことにし、四年目が始まった。第一回目の河合の記述で全教科偏差値60オーバーを記録。不安だった化学は72と最高記録を更新した。これならば、このまま調子をキープして行けそうだ。

二〇一三年 夏~
 
 成績も安定していたが、ここにきて物理が不調だ。自分でもよくわからない。マーク模試で主要四教科が、炸裂して好調でも、肝心の国語が中々伸びてくれなかった。国語の傷が大きく、900点満点でも720点行くか行かないかだ。古文は生まれつき嫌いで、古文単語も覚える気がしなった。先生たちからは、私立にシフトしたほうがいいと言われる始末だ。やはり、個人的に毎日少しでも主要教科には触れておいたほうがいいと思う。英語に関してはなおさらだ。ある友人から聞いた話だが、英語は一日読まないだけで、毎日読んでいる人と三日分の遅れが生じるらしい。やっぱり「継続は力なり」は本当だと思う。物理が不調になったのは二ヶ月くらい放置していたからかもしれない。あるいは、基本となるベースの解き方からズレ、型から外れたオリジナルなやり方が知らず知らずに身に染みてしまったからかもしれない。あるいは、〔もうやらなくてもいい〕とか〔得意科目だから〕といった怠慢などが急な不調の原因かもしれない。

二〇一三年 直前期

 塾からまた同じことを言われた。『今年は模試を見る限り大丈夫』担当の先生も自信があるらしく、今年は絶対受かる、と太鼓判を押してくれる。そのせいか〔今年こそ必ず合格できる〕と自信を持てるまでになった。去年日大の一次を通ったことも追い風に、自信を持って受験することにした。この時は、本当に終われると思っていた。 

<第六回>

二〇一二年 本番

 明らかに去年とは、手応えが違った。去年の「とりあえず分からなくても書くだけ書こう」というスタンスとは違い、明確に何が問われているのかが分かる。行きたかった私立の上位校は、やはり実力不足で終わった瞬間に結果は分かっていたが、下位や中堅校の結果は、正直楽しみだった。上位校の順天堂は、人気急上昇とあり、受ける層もレベルが上昇していた。過去問にあたっても、本番の問題はとても難しく感じた。杏林、日大、東医などは、今年初めて受験したので、過去問とそれほどレベルは変わらないように感じた。やはり上位校を除く他大学はひねった問題は出題されず、オーソドックスな出題が多かった様だ。これらの中堅校は、ミスが出来ないので、高得点が予想されるなと感じつつ試験を受けていた。解いていてもスラスラ解けている感じだった。
 しかし現実は残酷だった。どの大学の掲示にも自分の受験番号は無く、三浪が決定した。この時、「自分は医者になってはいけないのか?」と本気で悩み始めた。自分なりに今年の敗因を分析し、大手で手が届かなかった自分の弱点を細かく対応してくれる、医学部専門の予備校にシフトしようと決めた。高校の勧めでお茶の水にあるN予備校に行くことにし、三年目の浪人生活が始まった。この年の敗因は

・春の出来ごとに自分の中で調整をつけることが出来なかったこと。
・苦手教科が間に合わず、総合的にレベルが低かったこと。  
・分からないことを質問できず、疑問を放置していたこと。

二〇一二年 春

 N予備校は今までいた大手とは違い、だいたい50人規模の予備校だった。医専の予備校では当たり前なのか、英単語テストが存在し、数学のテキストは、医学部の過去問だけで構成されているのに驚いた。当然クラスはテストで上のクラスに配属され、幸先よくスタートを切った。周りを見ると、明らかに自分より年下の子が多く、「浮いているのではないか?」と内心ビクビクしながら過ごしていた。
 その年のゴールデンウィークに震災後初めて実家に帰った。屋根の瓦が全部落ちたのか青いビニールシートがかけられていた。庭にあたり一面に瓦が落ちており、もしあの日実家にいたら死んでいたかもしれないと身震いした。自分の部屋に入ると、本棚の本が全て床に散乱し、踏み場もない状態だった。部屋の壁には、ヒビが入っていて当時の凄惨さを物語っていた。夜になると雨が降り始めたが、雨漏りがひどく、生まれ育った場所がボロボロであることに心が痛んだ。その日は、雨がバケツをうつ音をずっと聞きながら夜を明かした。

二〇一二年 夏

 自分が通う塾は、夏にホテルを貸し切り缶詰になり、勉強漬けとなる。朝八時~夕方五時まで勉強、それ以降は自分の自習時間となる。自分は、朝5時に起床し少しでも多く勉強時間を稼ごうと決めていた。この時期は規則正しい生活を送れた。河合の模試の前日の夜、寝ようと思った矢先に昔付き合っていた子から電話があった。酔っているのかひたすら『今だれといるの。てか、となりに一緒にいる子は誰?』とひたすら根も葉もない攻撃を浴びせられた。来るものを拒めない性格から結局2時まで応答するはめになった。結局、寝不足の状態で模試に臨むことになり、生まれて初めて英語の試験で少し眠ってしまった。たとえ模試であろうとも万全の態勢で受ける準備が必要だ。

二〇一二年 秋~ 

 模試の判定も出て、面談で『今年は模試の結果も出てきているから大丈夫だよ。』と言われた。自分でも過去問演習をする際、手応えを感じることができた。生活もさらにストイックにし、自習室が閉まる夜22時まで勉強し、勉強時間さらに増やすようにした。多浪であってもいや、多浪だからこそ周りに負けるわけにはいかなかった。

<第五回>

二〇一一年 十月

 毎日予備校に通っていても次第に市ヶ谷に行くことが嫌になり、足が遠のいていった。そして、授業が終わったあとにすぐ麹町や永田町のカフェで勉強するスタイルに変わっていった。完全に鎖国状態だった。

二〇一一年 十二月

 最後に返却された模試の成績がようやくあがっていた。スタートラインどの教科も偏差値42くらいと話にならないくらい低かったぶん、偏差値を50台に乗せられたことはうれしかった。しかし医学部に合格するためには、一番低い所でも駿台の模試で60は必要な時代である。今年は、高望みをあまりせずに低いところも受験した。本番が近づくにつれ、冬期講習の授業での演習などでも変化が表れてきた。数学の初見の問題では、今までよりも抵抗なく解けるようになってきた。苦手な英語もテキストを何度も音読、黙読を繰り返したお蔭か、英文の内容が手に取るように分かり、設問に関しても時間内で解き終わり、正答率が上がってきていることが分かった。去年、仲が良く英語がとても得意で、筑波、千葉にそれぞれ進んだ友人のアドバイスもあり、英語も様になってきた。
 残るは、理科である。こいつらがいまだに偏差値50近辺をブラブラしていた。

二〇一一年 十二月

 大晦日の夜、いつも通り夜9時まで自習室に籠り、習慣になっていた市ヶ谷から永田町まで歩いて帰った。普段日テレ前の通りは夜になっても交通量があり、それなりに喧騒があるが、この日は車が一台もなく、外を歩いているのは自分一人だけだった。今でも不思議だが、この時、涙がこみ上げてきた。そして、それを抑えることができなかった。今までの色んな事が一気に噴き出して来たのかもしれない。誰にも見られないと分かっていたので、そのまま永田町まで泣きながら歩いた。この年は実家に帰らず年を越した。
 
二〇一二年 一月

 実家のほうから成人式に出席するかどうかの通達が来た。周りの友達の多くは既に大学生で出席するらしい。そんな中、幼馴染の女の子から電話があり、参加するのかどうか尋ねられた。どうしたことか未だに浪人していることが恥ずかしくて決まりが悪く、見栄をはり、『ごめんね。今、医大生だから忙しくて帰ることは出来ないよ。』と嘘をついてしまった。彼女はこの嘘を信じて、凄く喜んでくれたが、一転して暗い声になって言った。
 『もう医者の卵ならさ、聞いていい?ニュースにあるけど、放射能で子供たちの健康問題が話題になってるけれど、私達って健康な赤ちゃん産めるのかな?』
 この時、答えてあげればいいのか本当に困った。とりあえずあたり障りの無い答えをして、答えをぼかした。この前会った時は、放射能関連については全然気にしていない風だったが、みんなの心に大きな影を落としているんだと改めて感じた。

〈小林の感想〉

おいおい、たっちゃん、気持ちはわかるけれど、医学生でもないのに医者気取りはだめだよ。気持ちはよーく、わかるけれどね。でも、この先、晴れて医師になったあかつきには、地元の女性達の相談にのってあげて下さいね。頼みますよ。

<第四回>

二〇一一年 四月

 四月になった。もう一浪を同じ市ヶ谷で過ごすことに決めた。ただし結論から言えば、この選択は間違いだったようだ。まず、前期に用いる数学のテキストの内容がほとんど変わらず、新鮮味を感じなかったことが挙げられる。大切な問題は少なく、決まっているのかもしれないが、同一の問題では精神的にマンネリ化してしまう。幸いにも、他の教科のテキストはそれなりに変化していたのが救いだった。また、環境に変化がなく単調のままというのも問題がある。又、一浪目の楽しい思い出がふと甦り、やるせなさを感じてしまっているのも問題だった。市ヶ谷の外堀は、濠に沿って桜の木が植えられている。この時期とてもきれいな場所に変わり、幻想的な風景になる。そんな春らしい爽やかな気分とは裏腹に、自分の心は真冬並みの大荒れの天候だった。理由は、多々あるが、まず好きな子に振られたことが一番の理由だった。周りの人から、援護射撃をしてもらったものの、簡単に玉砕してしまった。覚悟はしていたが、その日の帰りに『お前には、あの子は無理だよ。』と一番応援してくれていた友達に言われたことがむしろショックだった。今でも覚えているが、この時本当に後ろから殴ってやろうかと思うくらいに傷ついたのだ。他にも、浪人が重なることへの後ろめたさも加わり、精神的に参ってしまった。しかし、さらに追い打ちをかけたことは、放射線の被曝問題だった。
 風向きの関係で放射能が山を越えて飛来し、実家がある場所や、山側の線量が高くなってしまったようなのだ。当時の詳しい線量は知らされなかったが、線量測定器で測れない程高かったらしい。他にもニュースで関東圏に避難してきた子供たちが、都会っ子に放射能絡みでいじめられている事、その他の風評被害に遭っている事といった報道が毎日のように知らされた。これには胸を締め付けられた。
 さすがに、勉強するモチベーションが上がらず、四月から梅雨までの三カ月はただただ毎日予備校に行くだけの生活を過ごしていた。一番はじめの模試は、去年とそれほどの変化はなく、成績は横ばい。返却された模試の結果に一憂し、夜の帰りに市ヶ谷の外堀に向かって友達と一緒に紙飛行機にして捨てた。
 
二〇一一年  五月

 自分の殻に籠りきっていた。ニ年目の浪人が決定した昨年からの友人が10人程度いた。そいつらが、精神的にも支えになる存在と分かっていても、この春の出来ごとが重すぎて気分が滅入っていた。予備校の廊下でそいつらと会う時も、無視して平気ですれ違うことさえあった。日々の生活でも、周りの友人と一緒にご飯に行ったり、話をして時間を潰すことはせず、自習室に籠り続けていた。そんな態度はとられた側もあまり気分が良いものではないだろう。共に夢を目指すのには仲間は良いかもしれない。しかし、浪人という不安定な状況ではちょっとした行動が気になってしまうのも難しいところだと思う。
 S予備校は卒業生がアルバイトとして校舎に来ることもあり、おもに試験官や教材配布、現役生の授業のチューターを担当していた。当然仲が良かった友達も助っ人として週に一度アルバイトに来ていたので、彼らと会うことはできる限り避けていた。

小林からのコメント
たっちゃん、ご出身地が東日本大震災に見舞われたのは大変でしたね。お父様お母様もご苦労が多かったことでしょう。私のところにも、福島の医師の方から、ちょくちょく現場報告のメールが届くのですが、被災地は今も、医療の側面から、様々な問題を抱えています。たっちゃんには医師となり将来ぜひ、福島の力になって欲しいと思います。頑張れ、たっちゃん。



<第三回>

二〇一一年 三月一一日

 忘れもしないこの日。実は僕は、中学校まで福島の田舎で育ったのだ。高校受験の際、地元の高校よりも東京の高校に憧れて、そちらのほうに進学したいとずっと思ってきた。そのため、中学校3年には、毎月東京の私立高校の模試を受けに、親に頭を下げて新幹線で東京に通っていた時期があった。国立の入試が終わり震災までの2週間は、毎日のように友人たちと市ヶ谷で集まってだべり、隣にある神社に行っては、御利益の神社にもかかわらず、安産祈願とふざけたお参りをしたり、堀を越え靖国神社に行ったり、近くの東郷公園で野球をするなどしていた。もう一浪することの気持ちを紛らわす日々を過していたのだ。周りの友人は慶應、慈恵、日医、千葉、筑波といった華々しい結果を残し、もう一浪する自分とは、対称的過ぎた。今でもこの仲間と食事をすることがあるが、僕みたいなレベルの奴となぜ仲良くしてくれたのか疑問だ。
 三月一一日、この日は市ヶ谷で合格祝勝会があり、なぜか落ちて、もう一浪する自分も参加するという意味不明な行動となった。というのも、思いを寄せていた女の子と最後に会う機会だったので、恥を忍んで参加し、告白しようと決めていたからだ。当然彼女は、医学部に合格し、この春から医大生。今思えば、チャレンジャーだったなと我ながら思う。というよりも、どこまでも馬鹿だ。祝勝会の内容は、いたってシンプル。ちょっとした先生の「医者になる前に」みたいな感じの講演があったくらいで、十四時くらいに終わった。この時はそんな内容はどうでもよく、彼女にどう切り出すかで頭が一杯だった。自分はなかなか言い出せない自分にイライラしていた。結局チャンスは訪れず、みんなで市ヶ谷駅に向かって歩きだした。

 一四時四六分 意気消沈しつつ、市ヶ谷橋をみんなで渡っていた。日中のこの橋はホームレスの人たちが拾い集めた雑誌を売っており、ちょっとした絵になる風景だ。橋の真ん中にさしかかった頃、『橋が揺れてるぞ!走れ!』とホームレスの人たちが警告してくれた。
全力で走って渡りきった後、堀の向こう側のビルを見ると、隣どうしのビルが触れるくらいゆれて、ガラス張りの建物は、陽の光の反射でミラーボールのように当たり一面を眩しくさせた。揺れが収まり、冷静さを取り戻し、周りの状況を確認するためJR線、南北線を調べたが、交通網は全て麻痺、そして一時間もしないうちに、市ヶ谷の駅前は車、タクシーでごった返し、飯田橋、四ツ谷、九段下それぞれの方向からたくさんの人が押し寄せて来た。堀ぞいの道は、人で埋め尽くされ、いわゆる帰宅困難者でごったがえした。帰る術がなかったので、友人たちの中には、近くの高校に避難した者や、新宿まで歩く者もいた。僕は、水道橋に住む高校時代の友人宅にお邪魔する予定でいたので、皆と別れて一人で水道橋に向かった。
 友人宅に着いてから衝撃の知らせを聞いた。震源が東北で震度7だということだ。勝手に震源を首都直下型と思い込んでいたので、地元が無事かとても不安になった。地元にいる親の携帯は繋がらず、友人宅で繰り返しテレビで映される津波の映像をただ呆然と見ているだけだった。実家が沿岸部でないにせよ、昔遊びにいった場所などが心配された。原発の博物館や相馬の沿岸部でおいしい海の幸を食べたなど思い入れがあった。それらの一つ一つが津波で覆われていることに言葉を無くした。夜9時に友人からのメールで皆が新宿のJR東京総合病院にいることが分かったので、2時間かけて、水道橋から新宿まで歩いて合流することにした。夜通し余震が続き、不安で寝れない中、隣で爆睡している友人が羨ましく思えた。
 次の日、電車が復旧していたので、始発で家に戻り、親とも連絡が付き一安心した。この日は、余震で邪魔されながらも少しだけ眠ることができた

<第二回>

二〇一〇年 四月上旬 

 晴れて浪人生となった。現役の時は、浪人なんて馬鹿がなることだ、とこれまた歪んだ価値観を持っていた。しかし、自分がいざその身分になると決まりが悪い。現役時代、市ヶ谷で仲の良かった高校の友達は、聖マリ、北里とそれぞれ進学し、残り一人は同じく市ヶ谷で浪人しを続けることとなった。自分の中では、この浪人した1人の友人は心強い味方だった。彼はこの年、慈恵の補欠になるなど大変優秀な奴だった。そんな彼と一緒に浪人することは、心強く、妙な言い方だが、うれしい誤算だった。
 S予備校の市ヶ谷は、4月の1週目でクラス分けテストを行い、上からA,B,……F組まで分けられる。意気揚々とテストに臨むが、ペンが動かず、クラスは予想通りにF組。一緒に浪人が決まったそのその友人は、A組に配属された。頑張ろうというモチベーションの高さを出鼻から挫かれてしまったが、あまり気にとめず気を取り直した。そして最初の授業が始まった。

二〇一〇年 五月

 ある英語の先生は、非常に厳しいことで有名で、授業で生徒を指し、いろいろ質問してくるので、多く生徒から恐れられていた。隣の席で仲良くなった一つ上の女性の先輩からは、『今日は、この授業でるよね?受けるね』とからかわれるくらいだった。個人的には、授業は非常に為になり、毎週楽しみにしていた。毎回の授業内容と共に先生の話も面白く、沈んだ気分の時などは、自分のモチベーションを高める最高の起爆剤だった。そんなある日、生徒の答えが一段とひどかった日の授業内での一言。
 先生『周りの先生は、どう思っているか知らないけれど、F組の授業は我々は苦労している。「授業で教えたことを本当に分かっているんだろうか。医者になるつもりがあるのだろうか」とみんなが思っているかもしれない。私は、出来る人より、出来ない人を教えた方が楽しいからこのクラスも進んで持っている。だから悔しかったら意地見せて欲しいんだ』
 この時、予備校の先生のホンネの気持ちが垣間見えた気がした。半分奮起、半分ショックといった、複雑な気分になった。まだゴールデンウィーク明けだが、本当に自分は受かるのだろうか……。

二〇一〇年 九月 

 浪人時代にやっては、いけないこと。やっぱりそれは、恋愛だろう。市ヶ谷校舎は、だいたい千人近く在籍しており、東京のみならず、地方からも多くの医学部受験生が集まり、それぞれの夢に向かって勉強していた。夏期講習も終わり、二学期が始まりだし、授業も本格的に演習となり、追いこみが始まった。そんな中、隣の席に座っていた人、同じ学校の友人たちから交友関係が拡散していった。自分たちの学校のグループは、都内の女子御三家のひとつ、トップの都立校、有名進学校、地方の有名高校の人たちに加え、大卒の人、母子家庭の人といった環境の人たちもいて、自分の凝りかたまっていた狭い視野が変わっていった。また、年齢層も様々で、一浪の自分とは違い、20代の人などごくごく普通だった。1回大学を出て、医学部を目指す人、医療機関に働いていたが、医師に馬鹿にされ医学部に入り直す人、さらには、出産して家庭を持つ主婦も授業に参加していた。ここで僕は仲良しグループの中の一人の女性に一目惚れをしてしまった。

二〇一〇年 十月

 気になりだしてからお蔭で、勉強が手に着かなくなり、落ち着かない日々を送ることになった。その女の子は、今でも一緒に飲みに行く友達の隣に座っていた人で、自分のその友人とはすでに仲良しになっていた。願書の写真撮影の日に、たまたまその女の子と自分の友人と三人で帰ることになり、会話をすることができた。この時この上なくうれしかったのを覚えているし、どういうわけかメチャクチャやる気になったのを今でも覚えている。今振り返ると、大変な過ちだったが、当時の仲の良い友人と飲むときはいつも話のおかずになっている。今では浪人時代の良い思い出となった。

二〇一〇年 十二月

 いよいよ十二月。みんなと一緒に各予備校が出版している、センターパックをやったり、一緒に帰ったりと素敵な勉強仲間を作ることができた。S予備校は、そういう意味で自分にかけがえのないものをくれたが、基礎がなかったぶん、勉強面の恩恵はうまく得られなかった。プライドが高いせいで、志望大学は、ほぼ上位校のみねらっていた。下位、中堅校は、学費の高さを表の理由にして受けなったのだ。秋から、周囲との差を少しでも埋めようと、予備校が終わった後、永田町のマックで十一時まで勉強し、朝早く市ヶ谷のマックで勉強することに決めた。そんな生活を送り、センター試験が終わってすぐに、体に無理がでたのか高熱を出して2、3日寝込んでしまった。熱が下がりすぐ次の日は、順天堂大学医学部の一次試験。体調が万全でない状態で、フラフラになりながら朝の5時に起きて、片道二時間かけて幕張メッセに向かった。そんなコンディションと頭の不出来な状態が重なり、本番では集中できなかった。順天堂の物理はとても簡単に解けたが、残りの教科が全てできなかった。他、日医、昭和も自分では出来たと思っていたが、解答用紙は空白が目立った。こうして虚しくもう一浪が決定した。あんなに勉強をして、友人たちと一緒に医学部に進みたいと思ってやってきたのに、そう簡単にはいかないのは何故だろうか。

<第一回>

二〇〇九年 十月上旬

一瞬何が起きたのか分からなかった。呼吸もできず、雨でぬかるんだ地面に横たわり、周りの友人たちが駆け寄ってくる足先だけが見えた。来年は受験の年であるにもかかわらず、仲の良い友人と流行りのモンスター・ハンターをしたり、バスケ、サッカーをして時間を潰し、予備校をさぼって遊び呆けていた。地面に倒れこむ前に味方にクロスを上げようとした時、軸足の左ひざを滑りやすい地面に取られ、ひざが内側に曲ったのを思い出した。慎重に左ひざを折り曲げたが、不思議なことに何ら痛みもなく、普通に歩けた。大事をとって、そのままサッカーを続けずに帰宅した。

次の日、地元の整形外科の病院に行き、検査を受けた。待合室は、多くの年配の方々で溢れており、長時間待たされ、久しぶりに病院の現状を目の当りにできた。祖父、父、共に医師である環境で育ったことから、幼少時より自分も医師になるものだと思っていた。祖父の病院には、よく遊びに行っていたので、病院の雰囲気とにおいが何となく懐かしく感じた。
 長時間の待機の後自分の番が来て、生まれて初めてレントゲンを撮った。診察の時、自分のひざを見て素人の自分でもヒビがたくさん入っていることがわかった。
 先生 『めちゃくちゃヒビはいってるね。』
 自分 『すごいですね。何で俺は、歩けるんですか?』
 先生 『んー、不思議だね。ちょっと、先生』
 そう言って周りの先生方を呼び寄せ、自分の診察室に5、6人の先生が集結し、『何で歩けるんだ。』『おかしい。不思議だ。』と議論をし始めた。そんな傍ら、自分は凄いのか?新しい論文の材料になるかもと、思った。そして、内心勝手な優越感に浸りながらその議論を聞いていた。結局出た診断結果は、ギブスも巻かずに、ただ松葉杖を渡され、これを突いて歩けとのことだった。ヒビは入っていても、普通に歩けたので、松葉杖をつかずに普通に生活を送り一週間が経った。
  
二〇〇九年 十月下旬
 
 今週は、学校の体育祭だ。横浜の日産スタジアムを貸し切りにし、マラソン大会をやる学校自慢の大イベントだ。大会前に、ひざが少し痛みだし、不安になったので、もう一回別の先生に診てもらうことを決めた。診察の時、先生から『至急MRIを受けて下さい』と言われ、50分もの間缶詰状態になった。診断後先生に、『大至急ギブスを巻かせて下さい。ギブスを巻かなかったのはこちらのミスです。』と言われた。大変慌てた様子だった。その後、なぜ自分が普通に歩けるかの説明と担当した医師の処置の仕方に対する謝罪、そして改めて丁重な治療を施してくれた。この時に骨折していることがわかった。 
 生まれて初めて骨折したことは、僕にとって大変ショックだった。しかし、この先生の対応で精神的に元気になった。自分もこの先生のようにただ治療して帰すだけでなく、心も元気にして患者を笑顔にできる医師になりたいと思った。今、思い起こすとこの時だろうか。自分も漠然とではなく、本気で医師になろうと心に決めた。

二〇〇九年 一二月

 骨折してからというもの、高校には上手いこと取り繕って長期間休暇をとることにした。当初はずっと家に篭り勉強するつもりでいたが、YOUTUBEを見たり漫画を読んだりと相変わらずグータラな生活を送っていた。一二月に入り、外に出歩けるようになり、久しぶりにS予備校の市ヶ谷で仲の良い高校の友達と会ったが、自分とのレベルの差が大きく開いていることに驚いた。自分も負けじと朝から夜9時まで自習室に籠っていたが、今まで勉強してこなかったためか、基礎がないぶんただ勉強をしても徒労に終わってしまった。当時は、この重大なことにも気付かずに、間違った努力をずっと続けていた。

二〇一〇年 二月

 そのような状況で迎えた入試本番は、当然全滅だった。ある試験会場で隣に座った現役の女子(たぶん桜蔭生)は、参考書がボロボロだった。答案用紙を回収した時に見えたが、ほぼ白紙だった自分のと比べ、彼女の答案はびっしりだった。合格する人たちにとり、そんな当たり前のことが、当時の自分にはすごいことのように思えた。
 
二〇一〇年 三月 

 この日は高校の卒業式。自分と同じクラス内で推薦で医学部に進んだ友達がいた。この時、推薦試験なんて卑怯だな、と偏った見解を持っていた。担任の先生が一人一人にコメントを送る際に、その友達に『良い医者になれよ。』とみんなの前で語りかけた。本気でカチンと来たのを今でも覚えている。祝福ムードとは、裏腹に、非常に後味の悪い締めとなった忘れられない日だ。帰り道、クラスの皆でラウンド・ワンに行きボーリング大会をした。市ヶ谷で勉強するためにS予備校入学手続きをした。この時はまだ医学部に合格することが難しいことなど露知らず、長い長い浪人生活が始まることなど予想だにしなかった。
(第二回に続く)

役立つ情報をお届けしていきます

このコーナーでもお伝えいたしましたが、先日7月12日(日)に中野で医学部に関するミニ講演会を開きました。有料の講演会にもかかわらずご参加いただいたご父母の皆さま、本当に有難うございました。参加者の熱気が感じられる講演会でした。

次回は、12月頃に無料の医学部入試講演会を行います。
内容は、来年度に医学部を受験する受験生に向けて、英語、生物、2次試験(小論文・面接)の、出題大予想をいたします。

その中で、順天堂大学医学部の難解小論文の書き方も詳しく解説します。
時期が近づきましたら、オフィシャルサイトの「医学部を目指す方」にてご報告します。ご覧ください。

受験生の人生に関わるということ

今年の4月に杏林大学医学部の入試センターに、本年の医学部入試問題理科「生物」の4番の問7は、出題ミスではないかと問い合わせをしました。
細胞の吸水力、膨圧、浸透圧に関する計算問題ですが、予備校の解答速報なども完全に勘違いしており、吸水力は4.8気圧と答えを出しておりました。これはありえない解答であり、旧来の考え方によるものです。
私の解答は細胞の大きさが120%の時は吸水力が0になるというもので、この解答には大学側も驚かれたようです。
この問題は、吸水力に関する従来の見解を見直すもので、不勉強な予備校講師や高校教員などは、私のこの主張がチンプンカンプンなようです。
周囲の講師などに説明しても、実のところ理解を得られない状況でした。しかし、この論争に金曜日決着がつき、終止符が打たれました。結論として、私の見解に軍配が上がりました。
以下杏林大学入学センターの管理職の方から私に送付されて来た回答文書を、一部そのまま掲載します。

平成27年度医学部入学試験の入試ミスについて(報告)
謹啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
さて、小林先生からご指摘賜りました平成27年度医学部入学試験、理科「生物」につきましては、本学医学部にて当該問題を精査いたしましたところ、ご指摘いただいた問題は不適格な問題であったことが判明いたしました。また、併せて、その他の問題も精査したところ、別に2問の入試ミスが判明いたしました。
文部科学省には、その経緯につきまして文書によりご報告するとともに、受験者及び関係者の皆様には、本夕本学ホームページにて、結果を公表させていただきました。
小林先生から、ご指摘並びに当該問題の資料のご提供を賜りましたことで、問題の再確認等ができ、この度の入試ミスが判明いたしました。本件につきまして、心より御礼申し上げます(以下略)。



大学にとっては入試から数ヶ月経っての不祥事発覚で、私としては心苦しく、大ごとにされないようにと再三お話ししてまいりました。
しかし、正直に非を認め私に回答文書をお送りくださり、緊急措置として追加合格者3名、さらに1次試験合格者を22名追加合格者とされたことは潔い態度といえ、感心致しました。
杏林大学医学部は公正な大学医学部です。見直しました。有難うございます。

なお、申し上げにくいことですが、他の私立医学部の生物にも私から見て怪しい問題がいくつか有り、どうしたものかと悩んでいます。

経済オンラインの連載第2回が公開になりました

東洋経済オンラインの連載第2回では、順天堂大学医学部大学入試センター利用入試の小論文問題について解説しました。海と医学(科学)はどこに関連性があるか、わかりやすく説明しています。与えられた問題の写真が海ですので答案の方向性として、まず二ュートンの名言に触れています。二ユートンが晩年、自らを振り返り自分自身のことを、「真理の大海原を前に浜辺で小さな貝殻を拾う無邪気な子供に過ぎなかった」と表現した格言ですね。この格言で展開するパターンは「海と科学」の方向性で記述する場合となります。

ところで、二ュートンといえば、万有引力の法則の発見、微分積分学など自然科学に多大な貢献をした偉人です。これだけの業績が小さな貝殻とは、天才にしか言えない言葉でしょうね。二ユートンが言うとおり、この世にはまだまだわからない自然科学の法則や、原理が無数にあるのだと思います。オンラインに詳しく書いた医学寄りの話とは別に答案の方向性としては、海を題材にこのようなアプローチがあるわけです。オンラインに書いた英文は、私が高校生の時に使用していた英文の書籍からの抜すいですが、偉大な人は言うことが違うなあと当時、感心したのを覚えています。だいたい二ュートンは凄すぎます。

話の真偽はともかく、発想がすごいです。リンゴは木から落ち地球に吸い寄せられるけれど、同じ丸い形をしていても、なぜ月は地球に落ちてこないのかなんて、普通は考えませんよね。今回はオンラインには多くを書けなかったこぼれ話のご紹介になりました。今後も、オンラインに連動させる形で、入試情報などを書いていきたいと思います。

なお、順天堂大学医学部入試小論文対策、日本医科大学・東京慈恵会医科大学・東邦大学をはじめとした集団討論対策、東京医科歯科大学小論文対策など、全ての対策はインテグラクエストで開講しますので各校に問い合わせください。
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医学部受験予備校 インテグラ
クエスト東大・医学部専門塾

1億PV達成の東洋経済オンラインで連載が始まりました

週刊「東洋経済」3月21日号に今年の医学部入試の動向を書いたところ、大きな反響がありました。医学部受験生のご父兄などから受験に関するメールを頂戴しました。そしてこれは、私の書いた記事と直接関係ありませんが、本誌は、猛烈に売れたそうです。
一度は社員の方々に配布された見本誌が回収されたことがその状況を裏付けています。「医学部の特集は読者の興味を惹きつけることができる」、そのようにお考えになられたのでしょうか、今度は、「東洋経済」本誌ではなくオンラインで医学部入試の連載が決まりました。本日から開始されたのですが、ひとまず毎週1回のペースで公開になります。
テーマは第1回から第5回までが医学部2次試験対策と1次試験の学科対策で、受験の参考になる事柄を書きたいと思います。その後医学部受験に関する趣向の変わった面白い連載を展開します。現在、鋭意執筆中で、面白い連載にしたいと思います。是非、受験の参考にお読みください。

東海大学医学部学士編入学合格者、獨協医科大学学士合格者  

先日、獨協医科大学学士入学試験の合格発表があり、2次試験の指導をした男性1名、女性6名のうち、計4名が合格しました。内一名は以前からの知り合いで個人指導も特別にいたしました。

2次試験の場合、実は合格のための学習のコツがあります。又、渋谷の医学部受験予備校で夏の間、計33時間適性検査(国Ⅰ公務員レベルの空間把握・判断推理、東大2次試験レベルの確率、他整数など)を集団講義で指導した女性の受験生(30代)は東海大学医学部の学士編入学試験に合格し、先日連絡を受けました。彼女は、とても熱心で西新宿の医学部東大予備校で開講されている私の「基礎医学概論」にも参加され、2次試験で課されている難解なプレゼンテーション試験を見事に突破しました(倍率は30倍?)。

ここのところ多くの方から、医学部受験の小林ゼミは、いつ、復活するのかとの声を頂戴し、嬉しいかぎりです。手始めに、医学部学士編入学、学士入学、推薦入試に関する本を近い将来出版しようと考えています。受験を予定されている方はこちらをひとまずごらん下さい。講義のほうはまた考えます。

東海大学医学部学士編入学試験2次試験

26日と27日は東海大学医学部の学士編入学試験の2次試験があり、私の教え子も複数名受験しました。
2次試験の内容は今年から、個人面接のほかプレゼン(大学側から与えられた三つのテーマのうち一つを選択し、10分間自身の見解を述べる)が導入され、受験生におかれては不慣れな難しい試験だったようです。
しかし、ある意味でプレゼンというのは練習を積みさえすれば、逆に簡単な試験だと私は考えます。なぜなら、プレゼンの本質は、テーマの内容に対する知識・理解以上に話す内容をどう整理するかが一番重要だからです。話の見せ方が分かりやすく上手であれば、高得点が取れるわけです。

26日のテーマのうち一つは「終末期医療」ということで、私の「基礎医学概論」を受講していた方は完璧なプレゼンができたのではないでしょうか。日曜日のテーマとして何が出題されたか、まだ聞いておりませんが、私が予想していた「少子高齢化社会」「新型出生前診断」、「医療崩壊」、「地域医療」は果たして出題されたのか、気になるところです。

東海大医学部学士編入学試験の解答、近日公開します

先日東海大学医学部学士編入学試験が実施されたようですね。試験日の翌日に西新宿のクエストから入試問題のデータが送られてきました。問題のデータを見てびっくり。今年は、適性試験の問題がかなり易化しました。私の予測では合格点はかなり高くなると思います。近いうちに内容を精査し解答を発表しますが、しばらくお待ち下さい。ところで、同時に送られてきた英語の問題は、数学的な問題も含まれており、傾向が変わり、難化しています。当日受験された方の話では、当日受験会場には600人ぐらいおられたようですね。アベノミクスは本当にどこ吹く風です。世の中がこの状態では、医学部人気はこれからも長く続きそうです。


「基礎医学概論」の公開講座(9/6,9/13は両日無料)が開かれます

「大学への数学」8月号をご覧になられた方も多いと思いますが、医学部&東大受験塾クエストで、公開講座「基礎医学概論」を開講します。
9月6日、9月13日は無料公開で、医学部を目指す浪人生、大学卒学士、高校生、浪人生の親御さん(代理)は是非御参加ください。

両日とも、午前9時からと10時45分からの2回開講で、講義時間は各1時間30分で同一の内容です。
この講座は、全11回で50以上の医学に関わるテーマをマスターし、更に個人の面接対策をするというものですが、医学部小論文対策、医学部の面接対策、AO入試対策として有効です。
講義後の質問もお受けしますので、多くの受験生の参加を期待します。

参加希望の方はクエスト℡03-5389-7727までお申し込み下さい。


「医学部の実戦小論文」が発売になりました!!

  基礎「医学概論」としてもご活用ください

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医学部受験生におかれましては、長い間お待たせした「医学部の実戦小論文」(教学社)ですが、3月23日に発売になり、書店に並んでいるようですね。
本書についてはこのコーナーでも何度か取り上げましたように,原稿の執筆と校正に1年以上かかるという大著です。実際に中を見てもらうと分かりますように、これほどの内容と分量のものを書き上げるということは、多くの書籍を出版してきた経験から言ってもあまりありませんね。
ですから、小論文対策として、春からこの1冊に真剣に取り組んでもらえれば、一般入試は言うに及ばず、AO入試、学士編入試験においてもかなりの成果が期待できると思います。是非、一読をお勧めします。尚、この本の姉妹本である「医学部の面接」も先日、大増刷になり、約4万3000部に達しました。高校や予備校のライブラリーでの受験生の回読率を考慮すると、10万人以上の学生が手にとられたのでしょうか。実際にどのぐらいの受験生や教員が目を通されたのだろうかと思案してしまいます。
私自身の執筆者としての責任を強く感じる今日この頃ですね。医学部入試に関する映像配信も提携先のサイトに徐々に公開されますのでこちらもお楽しみに。


① 「医学部入試適性検査 集団討論集中講義」

② 「医学部入試小論文集中講義」

いずれもエール出版社刊が2月に発行されます。

①は、東海大学医学部を始め適性検査が入試で課される方は必ず目をお通しください。適性検査で高得点が期待できますよ。
②は、最近の医学部入試小論文の傾向がお知りになりたい方はご覧下さい。

それから、もう一つ、校正になんと1年かかり長らくお待たせいたしました「医学部の実戦小論文」(教学社)が、いよいよ3月末に出版になります。この本は、医学部の一般入試を受験される方、さらに学士偏入学試験を受験される方にも有効な参考書です。300ページぐらいのボリュームですので、早めに学習を始めてください。詳しい出版日時は教学社にお問いあわせ下さい。

※面接対策には、「赤本ポケット・医学部の面接」が好評です!


画像の説明

医学部の実践小論文・テーマ発表(11月5日更新)

MEDICAL難関校過去問シリーズ「医学部の実戦小論文」の刊行が遅れまして誠に申し訳ありません。
校正は11/6に残りの半分がでまして、読めるのですが、出版社の側の様々な政策的な理由によりどうも3月刊行のようです。
ただ、目次が決まりましたので、お伝えしておきます。
以下のような感じです。
医学部の最重要テーマ9
1 医師―患者関係

	患者の自己決定権
	インフォームド・コンセント
	がん告知

2 医師の適性

	医師に必要な能力
	医師の責任

3 医学と科学

	医学と科学
	病気
	医学教育

4 医療事故

	医療事故
	チーム医療

5 生命と死

	安楽死
	尊厳死
	治療の拒否

6 生命倫理

	生命倫理の原則
	臓器移植と脳死
	修復腎移植

7 先端医療

	生殖医療
	遺伝子工学・遺伝子医療
	再生医療

8 地域医療と医師不足

	地域医療
	診療科偏在
	女性と医師

9 少子高齢化社会と医療

	少子高齢化社会
	終末期医療

医学部の頻出テーマ5
1 ボランティアと福祉

	ボランティア
	ノーマライゼーション

2 現代社会の諸課題

	格差社会
	食の安全

3 環境/生物と進化

	環境破壊
	生物と進化

4 感染症と衛生

	感染症と衛生
	医療と偏見

5 予防医学

	予防医学
	喫煙
	

東京医科歯科大学医学部をはじめ全ての小論文、英論文の問題を、私がオリジナルの解答を書いています。
是非ご期待下さい。

「医学部の実戦小論文」の経過報告

大変ご無沙汰しております。まず皆さんにご報告とお詫びをしなければなりませんが、8月出版の予定だった医学部難関校シリーズ「医学部の実戦小論文」の出版が遅れまして、誠に申し訳ありません。

なにせ300ページを越える専門的な大著ですので、校正に時間がかかっており、先日、総ページの半分にあたる170ページについてようやく校正が終わり教学社に返送した所です。残りの校正もそろそろ自宅に届くと思いますが、コラムなど更に加筆する必要もあり、少し時間がかかりそうです。教学社の担当者の話によると、1月あるいは3月出版の予定で進めるとのことです。

何とか2013年の入試に間に合うかなと思っておりましたが、場合によっては3月の医学部後期入試の前に出版という事になるかもしれません。ただ内容の密度は高く、医学部受験生の役に立つと思いますので、ご了解下さい。よろしくお願いいたします。近日中に本書の内容の詳細についても発表いたしますので、今しばらくお待ち下さい。

「MEDICAL難関校過去問シリーズ」の1冊
「医学部の実戦小論文」が8月末に発売になります

※同書の既刊として
『〔国公立大〕医学部の英語』
『私立医大の英語〔長文読解編〕』

『私立医大の英語〔文法・語法編〕』
があります。



本書は、医学部一般入学試験・2次試験は言うに及ばず、
医学部推薦入学試験、医学部学士編入学試験にも
威力を発揮する、最強の本です。
(教学社より発売予定)


内容は、医学部受験に関する
テーマに特化したもので、後

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